申し訳なさ

去年までいた病院で、非常勤として働く

みんな患者持ったりしてるのに、俺は何もせず

内視鏡のみ

遠いので、泊まることになったが

明日の朝からまた内科外来

なんか申し訳無く感じる

すぐ当直室に逃げる

あんま話もできず

これでいいんだ

これでも幸せなんだ

大丈夫と俺自身に言ってあげる

俺だけは俺の味方

明日から

また去年勤めていた地方の病院へ外来と内視鏡のアルバイトを週二回する事になった。

自尊心、自己評価はまだ低い。

相変わらず辛いときもあり、医者辞めたい、◯にたい、消えたいなど繰り返し考えては通り過ぎていく。

どうも強固なほどにそのような思考に取り憑かれ、勉強会で医局長や教授、その他諸々大学病院関係者を見るとまた劣等感で肩身がせまい。

内視鏡の教授は、勉強会で若手の先生の発表で大勢の前でこの所見の見方ではダメだと吊し上げる。

ああ、大学病院は嫌だな、少なくともこの教授のいる所には行きたくない。

自己否定に取り憑かれた人間には、厳しい人は自身の存在を揺るがされる事になり近づくのは無理なのだ。

まだ自己評価が低く、仕事を頑張り過ぎる傾向があり、完璧主義も消えないので勤務医で働くと無理して体調を崩す恐れは消えず。

これからどうしたらいいのか、わからないときもある。

アルバイトの健診センターは、時間を追われイライラが募る。

看護師の対応もあまり良くなく、割とハードである。

でも医局からもらった話だけれど去年までいた田舎の病院のように、交通の便は悪くても医者不足の環境であれば自尊心の低い俺でも必要としてくれるのではないか。

そうした一種のボランティアを、積極的な親切として自己満足に繋げて、自尊心の回復に役立てられないか。

そんな満足を感じる余裕も作りたい。

常勤では、そんなことを味わう間も無く、メーターのない車のようにアクセルを踏んで走り続ける毎日であった。


田舎で、遠くて、みんなはやりたくないかもしれないが、それで俺の心が満足するならいいじゃないか。

しかし常勤で働くには、まだ自己評価が低く体調不安が拭えない。

ボランティアの基本理念である、自分の出来る範囲でという事を忘れずにいきたい。

この田舎では、もはや(医師免許さえあれば)存在する事が意味を持つ。

なので頑張る必要なんかない。

いるだけで、役に立ってる。

そう信じて、とりあえず頑張らないようにします。

今日は

胃カメラの健診のアルバイトの日だった。
健診は午前中、上部消化管検査をする。


自分の診断に自信が持てない。
4年目なのに。
またそれが自分を責めて、苦しい。


インジゴカルミン散布しても、よく分からない。
近くに相談できる人もあまりいない。
不安は募るばかり。

今日は初めての施設で、あまり仕組みも分からない。

自然と体は固くなり、口角も下がる。
リラックスできてない。

このままでいいんだろうか。
なんかとてつもなく不安で、消えたくなる。
なんでだろう。

今日は面談。
自信がなさすぎる。
結婚なんて無理かもしれない。そんなことばかり考える。

ここではないどこかへ

最近は、やはりモヤモヤした感情

以前のように急性期病院でバリバリ働くことで、自己評価が低いため再度周りと比べたりして自分を責めて追い詰めて体調を崩す不安が抜けず

急性期病院で働く事を良しとして、それ以外は示しがつかないとするこの地元の医局で生きていくには辛い

彼女にも、結婚を迫られて縛られて辛い

今は自分の事で精一杯

1人が好きな性分で、結婚はお互いを縛ることになるがそれも忍耐だと

将来どうなるか不安ばかり、働いて(働かなくても)生きているだけで精一杯

悲観的なフィルターのかかった未来が見える今は結婚は難しいかも

考えようとせずに、公園を散歩しても考える

昨日は県外へ赴き、医者辞めたい病を経験したとある先生と話した

誰も先の事は分からない

先は思うようにはならない、成り行きなのだと

先の事が見えないから不安になるのは若さだとのこと

不安をやり過ごし、今を生きていくことだけ

今日できることはそれだけ

明日もそれだけ

今の俺がするべき事や、しなきゃならない事なんてない

医局は使ってなんぼ、らしい

お互いがハッピーになるには、意見を言うこともノーと言うことも時には大事(顔は潰さないようにする事は大事)


明日は医局長と准教授と面談

親に未だに何だかんだ将来について心配されてご飯に行こうだの干渉されたり、働いてない自分を責めたり、とりあえず今は健診やそれほど忙しくない、仕事も多くない病院でその場しのぎしたい自分に対する批判的な目を意識するのもいやだ

将来が明るく見えない

どこかへ逃げたい

この地元ではダメだ

ともすると消えたい(よくない考え)願望が出てくるので、しばらくなんでもいいから生きることだけ考えていこう

いくら運動しても、セミナーに行こうが、本読もうが認知行動療法を試そうが、薬を飲もうが悲観的な見方は変わらないのが悲しい

視野狭窄

ふと考えているのだが、医師の世界は視野狭窄に陥りやすいと思う。

俺の父親が言った言葉。

お前は病気なんだからなんだっていい。
とりあえずお金には困らないように医者は続けろ。
検診で、医療のいいとこどりでいいじゃないか。
でも、人に恥ずかしくない仕事はしてほしい。
一流じゃなくてもいいから。

そしてこうも言った。

検診とか開業医は勤務医に頭は上がらないよ。
みんな思ってると思うよ、勤務医に対して。

うーん、俺から言わせると視野狭窄

なんなのこの医局至上主義は。

俺から言わせると固定概念に縛られてるね。

医局だって、この休職期間に検診の仕事したいと言ったのに全く当ててくれずに急に仕事に行けなくなる人の為に俺を使って週二回のみにして、それ以上仕事を増やそうとしない。


なにやら、教授は若手医師を検診などバイトに行かせるのはあまり積極的でないようだ。

若手は急性期病院で働けってことか、年取ったら甘い蜜を吸えるってか。


まあそれは分かってる。みんな若い時苦労してきて、それが当たり前なんだろう。

そりゃ人間だから楽したい、それをさせないのも医局の仕事のようだ。

俺たちなんなんだろうね。

こうしてモヤモヤしている俺がいるのは事実。



酔っ払ってるから言えるけど、やっぱりおかしいよ。


色んな人がいて、色んな価値観がある。

そういった視野狭窄、固定概念が身動きが取れなくなって全国多くの研修医の命を奪った事実を分かっていない。

下手な緑内障よりも視野狭窄がひどい。

このブログを見ている年配の先生、全国で忙しく急性期病院で働いている先生本当にすみません。


俺はそう感じたりします。


だから、俺は色んな世界を見たい。

医者の世界は狭い。

医者の世界にせよこれが全てではないはずだ。

医局という洗脳(宗教)は抜け出ることを許されず、異端児呼ばわりされるかもしれないので穏便に内密に事は進めるが。


東京でも、沖縄でも何処へでも行ってやる。

俺は俺が大事にするもの(とりあえずは命)を考えながら、一生懸命出来て自分でコントロールなるべく出来るもので勝負したい。

なんだっていい。医者でなくていい。

もう色んな価値観にまみれて、自分のやりたい事も何も見えなくなってしまったけどそれが見えて、自分と折り合いがつけば俺のゴールが見えてくる。

そんな日が来るといいな。

今はまだグレーで、医局も辞めないけど。

なんだかんだ細かく指導される大学病院での辛い内視鏡業務の間でも、心は自由なんだ。

やりがいを探す旅、心の旅人。

それこそが人生。


中田英寿的人生を、歩む(まずは心の中で)事を決めた8月は妙に清々しく、でも悲しいかな現実の内視鏡画像がまぶたの裏に浮かび上がっては消える。

明日は釣りをしよう。

この辺はキスが釣れるらしい。

ちょっくら行ってこよう。

心の旅人は、痛いほどの太陽を浴びて飛び回る事を決めたのだった。

最近太ってきた。痩せたいな。


俺のテーマ曲。

将来は未定

相変わらずの毎日

7月になって、月火は当直と外来のバイトが舞い込んできてすこし給与は増えた

それと同時にすこしだけ心配になり、勉強せねばと思いだした

しかし、前任の先生が予定より早く戻ってきたため当初の予定より早く終了した

また空虚な気持ちになった


水曜日の大学病院の内視鏡診療は楽しくない

医者やめたい、ってすごく考えてしまう

楽しくない理由を考察してみる

これらを認知行動療法的に考察を施してみたいと思う

まずは理由として
○立場も(大学病院は基本卒後7年目以降の院生が中心で診療しているため学年的に卒後4年目の自分はだいぶ下)技術も低いため、萎縮する
○わからないこともあって、不安
○怒られることに敏感、恐怖がある 自分の中で休職してから特に人にきつく言われるのが怖くなってきた
○あいさつもできないことがあり、嫌われているはずだ
○そもそも激務の内科自体を続けるかわからないし、いまいち意欲に欠ける気持ちがある

根拠は
△下部内視鏡はいまだに入らないときもある
△診断に迷うこともあるし、できないことも多い
△強い口調で人に言われたら落ち込んだり自分を責めやすい、またそのせいで
人を避ける傾向にある
△入るときにうまく挨拶ができないことがある
△ずっと責任が重い医者はやめたいと思って生きている

反証は
■まだ20件もしていないのでできないのは当たり前だ 上部は難なくできるからきっとすぐにできるようになるはず
■診断も一つ一つ勉強していくことで成長できるはずだ わからなければ優しい先生に聞けばいい
■たしかに落ち込みやすいけれど、最近は強い口調で指導されても本当に怒っていないと思ったり、自分のために言ってくれていると思うことができて来ている
■挨拶はうまくできないときもあるが、一応気付いてもらえているしみんながみんな自分のことを嫌っていることはないはずだ
■やめたいと思っていてもここまで4年間なんとかやってきた、内科認定医も多分受かっているし責任は重いがうまく要領さえつかめばやっていけるかもしれない

適応的思考は
◇たしかに立場も技術も低く萎縮するが最初は誰しもそうであり、日々成長していくはずだ
◇わからないこともあって不安でできないことも多いが、優しい先生などに聞いて一つ一つ成長したい
◇怒られることや強い口調で言われることで傷つきやすく、落ち込み易い傾向にあるが自分のために言ってくれている・本当は怒っていない・自分の成長に繋がると捉えることができて心の中で言い聞かせることができればなんとか対応できる気もする
◇入るときに挨拶がうまく出ないこともあるが、一応気付いてもらえているしみんながみんな自分のことを嫌っているわけではないはずだ
少しづつできるところから挨拶できるようにしたい
◇今後たしかに激務の内科を続けるかはわからないし、今までも責任が重い医師という仕事を辞めたいと思って生きてきたけれど、いままで4年間なんとかやってこれたし、手を抜くところと入れるところなど要領をつかめば(時間はかかるかもしれないが・・)なんとかなるかもしれない

このように大変疲れる作業でした
認知行動療法とはこのように日々のマイナスに捉える考えから自分を考察してすこしバランスのいい考えに気付くやり方や、問題解決技法といって問題に対する解決法をたくさん挙げてその中からメリットデメリットを挙げて選択したりする手法を用いたりする
しらみつぶしに今後自分が働くにあたって考えるべき問題点にたいしてひとつづつこんなことをやっていくのはとても疲れる
費用対効果がいいのかさえわからないがやるしかない・・

いまのところ自分の残りの大きな問題としては
×将来今後どうしたらいいのかわからない→考え済み
×自分は一生懸命努力することが一番大事であるという信念を変えられない(完璧主義からの脱却)→未考察
×医者の仕事が楽しくないし、責任も重い医者を辞めたいと常に思う→未考察
×人に怒られて傷つきやすく、強い口調で言われるとショックを受けやすい→未考察

こんな感じである
3か月間もため込んで未解決がこんなにある

しんどい