先生への手紙

やはり最近も朝起きにくくなっている。眠りが浅く、朝早く起きてはまたすこし眠り、布団から出れず遅刻し始めた。週5日勤務は大変ですね。こんなこと言うと全国のサラリーマンに怒られそうですが。

また体の張りもひどい。雨の日は頭痛もする。外に出る気が起きない。
一日中寝ていたい。

多分またストレスがコップから溢れそうになっている。

先月はスマホソーシャルゲームにお金を使って、死にそうになった。
今も金曜日の仕事から終わると疲れで布団から動きたくなくなる。
ちょっと無理してるかなと思う。

まあ今はこれでいいかと思ったり、焦ったりする現状。
どうもストレス耐性が低いと受け流すことができにくくなってくる。

ほんとは一人の時間がほしいときもある。

もうそんなこと考えると、すべてが嫌になってくる。

なので、ある人にメールを書きました。信頼できる先生に。
その文章を今後俺がいなくなった後に残しておこうと思い公開します。

以下抜粋


××先生
お疲れさまです、ご無沙汰しています。
先日はお忙しい中ありがとうございました。

非常に恐縮ですが、先生以外に医者の先輩で相談できる人がおらず、(父は完全に自分の事を分かってくれていません)メールした次第です。

先生にお伝えしたかわかりませんが私は子どもの時から母親が褒めてくれず、もっとこうしなさいああしなさいと言われ続けました。そのせいで、自己評価が低く完璧主義で人の期待に応えようと必死に努力しては、母親(時に父親)が投影する理想の自分とのズレに苦しんできました。

だから、病院でも内視鏡検査などのある種決まり切った枠や言葉の中でのコミュニケーションならあまりストレスはないですが(時間に追われるとやはりイライラはしますが)、外来や入院患者と接する時などは自己評価が低いあまり患者さんのたくさんのパターンの訴えに完全に応えようとするようで、できない現実に直面するとストレスが生じ去年まで勤務した△でも毎回イライラしたりひどい肩凝りに悩まされた事が分かりました。

いわゆるコップからストレスの溜まった水が溢れるような感覚になり、去年の12月頃から朝起きれなくなる、肩こりや頭痛がひどくなるなどの症状が出だしたためやはり今後もストレスへの対処が急務だと思っております。


何回も学生時代からうつの症状が出てきたので、なるべくストレスの少ない環境であったり認知行動療法なりで楽になる考えを身につける事が今後の健康状態も含めて考えると安心なのですが、環境については先日お伝えしたように今の医局はまだ僕は後期研修を留保されている身なので再び検査だけでなく外来、入院、当直などの仕事をこなさないといけない事になっているようです。

前回夏にお会いした後の面談でも、医局長から来年から再びどこかの病院で後期研修に戻るか、大学病院にローテーターとして戻るか、今のままアルバイトを続けるかと聞かれてまだ体調にまだ不安があるので今のままアルバイトを続けたいと伝えました。

そのような経緯からも医局はこの先選ぶべき勤務先は急性期病院ばかりで、いわゆる外来入院検査当直全てこなすタイプの病院を選ぶことになっています。(主治医はもう少し業務のゆっくりした、できるだけ救急なども忙しくない消化器診療に特化した病院を選べと言いますが後期研修をする基幹病院ではあまりそれはなさそうです。また大学病院はローテーターとして勤務する事になりますが厳しい教授がいたり、当然入院患者を持ち当直などもあるためストレス耐性の低い今の現状、勤務を続ける事にあまり自信はありません。結局は今後の逃げ道をあまり見出す事ができていない現状です。)


このように自分は周りの人とは育った環境が違うせいで、ストレス耐性も低く、現状に至ったと思われますが、医局の今後進んでほしい常勤での勤務先ではやはり時にはストレスが多くなる事は予想されます。

先生にお会いしてから、9月はほぼ平日はフルで内視鏡のアルバイトや外来業務(再び○○病院に行くことになり)をしておりますが、それだけでもどうやら疲れで朝起きにくくなり寝坊気味であったり、朝早く目覚めたり頭痛がしたりとうつの症状に近い状態になって来ております。

やはり今年の冬にうつで休んでからは、コップの水が溢れやすい状態である事を実感し、今後また後期研修に向けて健康は大丈夫なのかどうかもやもやと考えてしまいます。


ちなみに今後父親は再び常勤で、入院検査当直外来などもこなしてほしいようです。
主治医は将来どうしたいかを考えろとも言いますが、僕は現時点では目標などはなく、目の前を生きる事しか考えられません。

現状では、週末にかけて疲れがとても多い状態でストレスに対する耐性も低下しているため今の時点では責任ある仕事がこなせるか自信が持てません。

彼女とも結婚の話も出ており、親に説得力を持たす意味でも(意味不明かも知れませんが)早くアルバイトでない常勤などに戻りたいという焦る気持ちもありますが身体は言う事をきかず、もやもやとした日々を過ごしながらまあ今はいいかとなんとかやり過ごしております。

週一回行っている○○病院の先生がたはいい人ばかりなので、人も足りない○○という僻地で働きたい思いもあります。しかし責任は重く内科医師としてたくさんの業務があるので、現状ストレス耐性の低い今すぐ働けるかは悩ましいです。

ぼんやりと将来は、外来はストレスが多いためまだストレスの少ない内視鏡検査のみで健診医者としてやっていければとは思っておりますが、医局や父親の求めるものとズレがある気がしております。


父親や母親に対して、これまで自分の肯定感が低いせいで期待に応えようとしすぎて無理をしてきました。自己評価が低く親の考えや医局の意向に振り回されてしまい、本心が分からなくなるため非常に厄介です。


そこで、現状僕が考えた今後選ぶべき道は

1来年の春以降に医者の不足している○○で、後期研修を再開してあと1.2年なんとか乗り切る。院長も部長も病気を理解してくれており、医者も不足しているので辞めてもらっては困るためなんとか配慮してもらえるかもしれない。

その先は大学病院に戻れそうなら戻る。厳しそうなら、医局にプレッシャーをかけられても、うつを理由に時間潰し出来そうならして、大学には戻らずにのらりくらり人生を乗り切る。

2来年の春以降○○以外のできるだけ業務の負担が少ない△(大学の地名)の後期研修病院を探し、そこでなんとか乗り切る。その先は1と同じく、大学病院に戻りたければ戻るし、戻りたくなければうつなどを理由にのらりくらりやり過ごす。

3来年の春以降大学病院でローテーターとして勤務する。(1年間は病棟管理や初期研修医の指導係でその先は4-5年研究室に配属する。どれくらいしんどいかはわからない、ストレスがひどい時でも人はたくさんいるのでもしかすると休んでも迷惑にはならないかもしれない)それでその後はなるべくストレスの少ないグループや研究室に潜り込んでなんとかのらりくらり生き延びる。


4△(大学の地名)では難しいので、出身大学である□(県名)なども含めて、全国どこかで検査のみでやっていけるところがないか探し、選ぶ。
もし内科ではストレスが掛かって、楽しくないし疲れるから転科も考える。

そんな辺りを考えています。
まだこの先考えは変わるかも知れませんが、先生にご相談致しました。
長文失礼しました。よろしくお願い致します。


生きていく働くことで精いっぱい、野球だって、生きていく手段。
メンタルとか体に気を配って、なんとかやっていくことだけてす。