2020年の記事より

とあるブログに載せた記事がなくなっていたため、このブログに転記します

本当は父のことなど書けないことがあったが、おおよそ大学生〜鬱になって休職してから3年程度医師6-7年目くらいまでのことが書いてあります

取り急ぎご査収ください

 

自己攻撃性との付き合い方 ~うつ病による休職を経験して~

 

1.イントロダクション

医学生や医師が陥るうつ病について皆さんはどのように感じるだろうか。

 

うつ病によって休職した私の体験を語ることで少しでも同じように悩める人の助けになればと思っている。



2.これまでの経緯

私は過干渉な母によって、優秀な1つ下の弟と常に比較され自己肯定感の低い土台を持ち育った。 

なんとか一浪で田舎の地方医学部に入学したが、留年も経験した。

そして留年後も部活中心の生活と完璧主義で要領が悪い性格のためか、再試験を重ねた。

 

大学6年生の春、不本意な部活の引退、臨床実習での疲労、迫り来る国家試験のストレスとが引き金となり、抑うつ状態で心療内科への通院を開始した。

 

国家試験合格後、初期研修を始めてから症状が落ち着いていたため一旦は通院を中止したが、医師2年目の専攻科を決定する際にまた通院を再開した。

思うように仕事が出来ていない現実と、なりたい理想とのギャップの大きさを直視するようになった事に加え、当直やレポート、プレゼン業務で睡眠不足や疲労が重なり、再びうつ症状が増悪したためであった。

医師3年目に専攻科を決め転勤後、責任が増すにつれ日々の診療での医学的知識、検査など手技の習得の未熟さを自覚し、それと同時に他科の医師とのコミュニケーショントラブルからくる落ち込み、資格試験のためのレポート作成や学会発表、勉強会の資料作成など業務が増加した。

睡眠時間を削って業務にあたり、かつてない疲労感やイライラ、不眠、抑うつが生じた。このまま勤務を続ける事は困難と判断し、医師3年目の冬に休職した。1ヶ月休んでも良くなる見込みはなく、間も無く自主退職した。



3.休職に至ってからの経緯

医師4年目(休職後1年目)は週2日勤務をしていたが半年後に勤務を増やすと再度うつ症状が出現。通院している心療内科に相談し様々な方法を模索しても症状はあまり変わらず、焦る気持ちばかりが募った。

 

そんな中、ネット上に復職のためのメンタルコーチの存在を発見した。 医師5年目(休職後2年目)の春から電話でカウンセリングを始めた。

以後自分の体調心理状態をモニターしながら仕事量を調節し、1年以上かけて自分の体調心理面に気づけるようになった。

 

ちょうどその頃、当時の彼女と結婚した。うつ病の症状がまだ残存していたため、環境を変える事はかなり迷う決断であった。 神経症気質である母は私たちの結婚を認めなかったため、距離を置くようになった。また、その後間も無く家庭の事情により父とも関係が悪化し、連絡を断つこととなった。

神経症気質で被害妄想を常に私にぶつけ、私の将来の進路に対してプレッシャーをかけ続けた母と距離を置くようになり、また父とも関係が切れたことで、幼少期から言いたいことが言えなかった両親との関係は変化し、少し楽に生きられるようになった。 

 

医師6年目(休職後3年目)の春過ぎからは体調心理面が落ち着き、心療内科から漢方医への通院に変え、妻と相談しながら1年に週1日のペースで少しずつ仕事を増やしている。

 

 

 4.今後の目標と思い

私は今もなお、仕事でわからない事があると自己肯定感の低さゆえに「ダメなやつだ、勉強しなければいけない」という「すべき思考」に支配される。

しかし、これは良くなりたい気持ちの裏返しでもあり、自分のできる範囲で努力を重ねるのは職業人として必要な姿勢だと思っている。 個人的にはいずれは常勤に復帰し専門医を取りたい思いと、いつかは学会発表、論文作成をしたい思いがある。

 

そのため早く常勤として復帰をしたい焦る気持ちは休職当初と変わってはいない。

また私が非常勤勤務している大学病院の同期と比較しては引け目や劣等感を感じ、それが焦る気持ちを増長させる日々は続く。しかし復帰を焦ってうつ病を再発した経緯もあり、常勤に復帰すると仕事量をコントロールできない場面が多いことを加味し、元のように復帰するのは慎重を期した上で開始する事が望ましいとの考えから、現在は非常勤勤務を続けている。

 

人生は思うようにはならない。しかし、

・私たちはいずれ死に向かっており、残された時間は有限である。(池田正行氏)

・生きる意味はあるのかと「人生を問う」ことではなくて、人生のさまざまな状況に直面しながら、 その都度、「人生から問われていること」に全力で応えていくことだ(V.Eフランクル)

といった言葉を胸に、たとえ絶望失望の最中であっても残された時間を意識し日々自分のできる事、コントロールできることに集中したいと思っている。



5.Take home message 

「こうでなければならない」「これをしなければならない」等の「すべき思考」を無自覚のうちにしている人、とりわけ若い医学生や医師はそうした理想と現実のギャップに苦しみやすい。

うつ病に至ると一時的な休職だけでは解決できない事が多く、そうなれば社会的なキャリアだけでなく経済的にも大きな損失を生む。自分の力だけではマイナス思考や取り憑かれた否定的な感情を取り去ることはできない。

経過としてはいい時と悪い時の波があり、負担を減らしつつ波が落ち着くのをゆっくりと数年をかけて待つしかない。

また精神科医は疾患の治療については知識はあるが、職場復帰のプロではない。私のように復帰を焦ってうつ病を再発すれば治療期間が延びる。そうなるとますます見通しが立たなくなり、焦りからうつ病が増悪し、悪循環が断ち切れなくなる。精神科医の力を借りてもそうした悪循環が断ち切れない場合は復職支援のメンタルコーチに早めに相談する方が良いと思われる。

 

「すべき思考」はこうなりたい、良くなりたいという前向きな力の副産物である。 また無自覚のうちに入り込んだ考え方の癖を変えるのは容易ではない。 重症化を招く前に、まずは自分の心の中の「すべき思考」を認識し、適切な心 の距離を取りたい。そうした上で自己の体調をしっかりと見つめ心の免疫力を高めるのである。 こうすることで「すべき思考」と上手く付き合っていけると思われる。

生きて行くということ

難しい

今日は病院チームの野球で大事な試合の大事な場面でエラーした
チャンスでも打てなかった
あと少しのところで、自分のせいで勝利を逃した

プレッシャーのかかる場面で、足が動かなかったこと
この夏も同じようなミスを犯した
本当に嫌になる

ポジションが違うこと、草野球チームとは球場も広く綺麗でプレッシャーも違うこと
色んな理由もあると思うけれど、大きな大会で力が発揮できなかった原因はなんなのか

あらゆる可能性を考えて、とにかく取り戻す努力をしたいです

失った信頼を取り戻すのは大変だと思うし、逃げ出すのも簡単だけれど

飲み会も行けなかった、というより行かなかったのかもしれない

たとえチームを追われたとしても死ぬ訳ではない

失ったものを、生き続けて取り戻すだけ

自分が必要とされる場所で、活躍出来る輝ける場所で続けるだけ

続けようと思うまでやればいい

誰もやれと言われてやっている事でもない

本音は去る時に引き止めて貰えないのも寂しいけど

今日は結構ショックだった
抑うつ度合いで言えば、80パーセント位

たかが趣味の野球だからこそ、上手く行くときいかないときはやっぱりあるんだけれど今回は1年に1回の大きな大会

割と他の緩い雰囲気の草野球チームではいい時も多く、練習でもそれまでは良かっただけにショックだ

野球で久しぶりにこんなに落ち込んだ
落ち込み60%、悔しさ20%、悲しさ10%

今は落ち込みが強いけど悔しさもあるので、取り返したい思いはまだあるから、非常勤だし来年いるかかわからないし病院のチーム辞めたいのを必死にこらえている

試合が終わって申し訳なくて、チームの人にはあまり話せなかった

そうする事でしか自分を保てないのも悔しい

飲んで騒いで忘れたかったと言えば、そんな気持ちもあるかもしれない

グズグズする思考を引きずりながら、今日の父との食事

こんな日に限って結婚を切り出すというイベントもあるのが人生なんだね

生きることは大変

先生への手紙

やはり最近も朝起きにくくなっている。眠りが浅く、朝早く起きてはまたすこし眠り、布団から出れず遅刻し始めた。週5日勤務は大変ですね。こんなこと言うと全国のサラリーマンに怒られそうですが。

また体の張りもひどい。雨の日は頭痛もする。外に出る気が起きない。
一日中寝ていたい。

多分またストレスがコップから溢れそうになっている。

先月はスマホソーシャルゲームにお金を使って、死にそうになった。
今も金曜日の仕事から終わると疲れで布団から動きたくなくなる。
ちょっと無理してるかなと思う。

まあ今はこれでいいかと思ったり、焦ったりする現状。
どうもストレス耐性が低いと受け流すことができにくくなってくる。

ほんとは一人の時間がほしいときもある。

もうそんなこと考えると、すべてが嫌になってくる。

なので、ある人にメールを書きました。信頼できる先生に。
その文章を今後俺がいなくなった後に残しておこうと思い公開します。

以下抜粋


××先生
お疲れさまです、ご無沙汰しています。
先日はお忙しい中ありがとうございました。

非常に恐縮ですが、先生以外に医者の先輩で相談できる人がおらず、(父は完全に自分の事を分かってくれていません)メールした次第です。

先生にお伝えしたかわかりませんが私は子どもの時から母親が褒めてくれず、もっとこうしなさいああしなさいと言われ続けました。そのせいで、自己評価が低く完璧主義で人の期待に応えようと必死に努力しては、母親(時に父親)が投影する理想の自分とのズレに苦しんできました。

だから、病院でも内視鏡検査などのある種決まり切った枠や言葉の中でのコミュニケーションならあまりストレスはないですが(時間に追われるとやはりイライラはしますが)、外来や入院患者と接する時などは自己評価が低いあまり患者さんのたくさんのパターンの訴えに完全に応えようとするようで、できない現実に直面するとストレスが生じ去年まで勤務した△でも毎回イライラしたりひどい肩凝りに悩まされた事が分かりました。

いわゆるコップからストレスの溜まった水が溢れるような感覚になり、去年の12月頃から朝起きれなくなる、肩こりや頭痛がひどくなるなどの症状が出だしたためやはり今後もストレスへの対処が急務だと思っております。


何回も学生時代からうつの症状が出てきたので、なるべくストレスの少ない環境であったり認知行動療法なりで楽になる考えを身につける事が今後の健康状態も含めて考えると安心なのですが、環境については先日お伝えしたように今の医局はまだ僕は後期研修を留保されている身なので再び検査だけでなく外来、入院、当直などの仕事をこなさないといけない事になっているようです。

前回夏にお会いした後の面談でも、医局長から来年から再びどこかの病院で後期研修に戻るか、大学病院にローテーターとして戻るか、今のままアルバイトを続けるかと聞かれてまだ体調にまだ不安があるので今のままアルバイトを続けたいと伝えました。

そのような経緯からも医局はこの先選ぶべき勤務先は急性期病院ばかりで、いわゆる外来入院検査当直全てこなすタイプの病院を選ぶことになっています。(主治医はもう少し業務のゆっくりした、できるだけ救急なども忙しくない消化器診療に特化した病院を選べと言いますが後期研修をする基幹病院ではあまりそれはなさそうです。また大学病院はローテーターとして勤務する事になりますが厳しい教授がいたり、当然入院患者を持ち当直などもあるためストレス耐性の低い今の現状、勤務を続ける事にあまり自信はありません。結局は今後の逃げ道をあまり見出す事ができていない現状です。)


このように自分は周りの人とは育った環境が違うせいで、ストレス耐性も低く、現状に至ったと思われますが、医局の今後進んでほしい常勤での勤務先ではやはり時にはストレスが多くなる事は予想されます。

先生にお会いしてから、9月はほぼ平日はフルで内視鏡のアルバイトや外来業務(再び○○病院に行くことになり)をしておりますが、それだけでもどうやら疲れで朝起きにくくなり寝坊気味であったり、朝早く目覚めたり頭痛がしたりとうつの症状に近い状態になって来ております。

やはり今年の冬にうつで休んでからは、コップの水が溢れやすい状態である事を実感し、今後また後期研修に向けて健康は大丈夫なのかどうかもやもやと考えてしまいます。


ちなみに今後父親は再び常勤で、入院検査当直外来などもこなしてほしいようです。
主治医は将来どうしたいかを考えろとも言いますが、僕は現時点では目標などはなく、目の前を生きる事しか考えられません。

現状では、週末にかけて疲れがとても多い状態でストレスに対する耐性も低下しているため今の時点では責任ある仕事がこなせるか自信が持てません。

彼女とも結婚の話も出ており、親に説得力を持たす意味でも(意味不明かも知れませんが)早くアルバイトでない常勤などに戻りたいという焦る気持ちもありますが身体は言う事をきかず、もやもやとした日々を過ごしながらまあ今はいいかとなんとかやり過ごしております。

週一回行っている○○病院の先生がたはいい人ばかりなので、人も足りない○○という僻地で働きたい思いもあります。しかし責任は重く内科医師としてたくさんの業務があるので、現状ストレス耐性の低い今すぐ働けるかは悩ましいです。

ぼんやりと将来は、外来はストレスが多いためまだストレスの少ない内視鏡検査のみで健診医者としてやっていければとは思っておりますが、医局や父親の求めるものとズレがある気がしております。


父親や母親に対して、これまで自分の肯定感が低いせいで期待に応えようとしすぎて無理をしてきました。自己評価が低く親の考えや医局の意向に振り回されてしまい、本心が分からなくなるため非常に厄介です。


そこで、現状僕が考えた今後選ぶべき道は

1来年の春以降に医者の不足している○○で、後期研修を再開してあと1.2年なんとか乗り切る。院長も部長も病気を理解してくれており、医者も不足しているので辞めてもらっては困るためなんとか配慮してもらえるかもしれない。

その先は大学病院に戻れそうなら戻る。厳しそうなら、医局にプレッシャーをかけられても、うつを理由に時間潰し出来そうならして、大学には戻らずにのらりくらり人生を乗り切る。

2来年の春以降○○以外のできるだけ業務の負担が少ない△(大学の地名)の後期研修病院を探し、そこでなんとか乗り切る。その先は1と同じく、大学病院に戻りたければ戻るし、戻りたくなければうつなどを理由にのらりくらりやり過ごす。

3来年の春以降大学病院でローテーターとして勤務する。(1年間は病棟管理や初期研修医の指導係でその先は4-5年研究室に配属する。どれくらいしんどいかはわからない、ストレスがひどい時でも人はたくさんいるのでもしかすると休んでも迷惑にはならないかもしれない)それでその後はなるべくストレスの少ないグループや研究室に潜り込んでなんとかのらりくらり生き延びる。


4△(大学の地名)では難しいので、出身大学である□(県名)なども含めて、全国どこかで検査のみでやっていけるところがないか探し、選ぶ。
もし内科ではストレスが掛かって、楽しくないし疲れるから転科も考える。

そんな辺りを考えています。
まだこの先考えは変わるかも知れませんが、先生にご相談致しました。
長文失礼しました。よろしくお願い致します。


生きていく働くことで精いっぱい、野球だって、生きていく手段。
メンタルとか体に気を配って、なんとかやっていくことだけてす。

体調が悪い

誰も見ていないと思いますが、追記します。
僕が死んだ時、誰か見てくれると信じて。

最近、眠りが浅くなっている。疲れがとれない。

原因は2つであろう。

彼女が、仕事が辛くやめたいようであり、僕と結婚したいと言う。

僕も大丈夫だと言ってはいるが、最近アルバイトも平日毎日入っており、今後どうするか悩みもあり精神的にも揺れがありどうも彼女を支えてあげられる状態でない時がある。

そのせいで彼女もストレスを溜め込み、お互い体調すら悪くなっている。

最悪の状態だ。

カウンセラーの先生にも言われたが、彼女は何を求め、自分は何を求めているのか。
仕事を今後どうするかという悩みもある中で、彼女との結婚は相談する人に大体もうちょっと待った方がいいのではないかと言われる。


婚約指輪も買い、今日はプロポーズする予定でクルージングも予約した。しかし彼女は風邪で体調が悪いそうで、外に出れないと。

今日はメールして、食べ物飲み物とか薬を買い、彼女の家に行ったが出てくれない。

昨日は電話であなたのネガティヴが嫌だと。

本質を否定されてるようで辛い。

お互いがお互いを傷つけるようだと、メンタル健康的に厳しい。

どうするか、今日がヤマです。

本当に生きるのはしんどいです。

自己否定

彼女とまた喧嘩した
親になかなか会わせてくれないと
俺だって勇気出して、指輪も予約したのに

こっちも久しぶりに週5回勤務で疲れてる
それなのになんだかんだわがままばかり言われても無理

プロポーズしたら、眠いから寝ると
今日はずっと冷たい

もうダメかもしれん

フラれても生きるんだ
俺は価値のある人間
俺は価値のある人間

それだけを信じて

試験病

内科認定医は合格していた。
全体平均よりかなり低いが、ギリギリである。
平たく言えば、思ったより悪かった。


サマリーの評価も合格最低。
粘って結構頑張ったのに。

色々感じる事はあるけれど、挫折を感じた中学校時代から15年以上に渡るいい点取りたいのに頑張っても取れない症候群、試験病に振り回されるのはもうやめにしましょう。

そんな事で、自分の価値は下がらないよ。

俺は存在してる事に価値がある。

サマリー評価する内科医は、論文とか書いたりしてるんだろうが細かい理論を敷き詰めて粗探しをする。批判的に物事を見がちな医者というやつはどうも好きになれん。

そいつらに何か言われても俺の価値は下がらない。

もう振り回されたくない。

試験の点数が悪くたって、思い通りに行かなくたっていい。


数値化されない事の方が価値があるかもしれないよ。

認定医でいい点取るよりも、草野球で3番ショートで試合に出てヒット打つ方が俺にとってはよっぽど価値がある。

昨日は病院を抜け出して病院の草野球チームの練習をして楽しかった。

ショートも今年30歳を迎えて約10年ぶりに挑戦するが、思ったより動けて楽しかった。

立派なサマリー書いて、いい点数取ったって、上手にゴロを捌けるか?ヒットは打てるか?ヘボいキャッチャーから盗塁くらいできるのか?

ヒョロガリの内科医の評価に振り回されるくらいなら、今すぐ合格通知書はシュレッダーにかけてゴミ箱に捨てよう。


今週も、車で片道2時間かけて田舎の病院に一泊し帰ってきた。

相変わらず総合外来は訳の分からない患者が来て、全く事態が解決できない事にイライラした。

主訴が疾患に一本道に結びつかない場合、いまいち疾患が思い浮かばない時や教科書にないような悩ましい時。

解決できない自分が嫌になり、イライラする。

看護師さんさえ、自分にプレッシャーをかける敵に見える。

体は緊張して、交感神経が昂ぶり、眉間に皺が寄る。

患者や家族の陰性感情などに全て応えるのは疲れる。というか無理だ。

無理な事は無理なんだ。
全部の事は聞けないよ。
今解決できる事やすべきことを読み取って、解決するのが外来の役割だが、無理なものは無理なんだ。

そう言い聞かせないと、内科以外の全てのゴタゴタが集まる地域唯一の総合病院の内科総合外来なんて乗り切れない。

午後の大腸カメラにしても、一緒。

25分くらいS状結腸でウロウロしていた。
プッシュで曲がり角を押し込んだら、ループを作ってカメラが入らん。

上級医は何も言わず、後ろで見ていて、仲の良い元同期も見つめる。
最初はこれがダメな俺なんよと割り切っていた。

これで出来なくても俺の価値は変わらない。
むしろ、役に立ってるんだから。
人が足りなくて呼ばれてるんだから上級医から怒られて、もう来るなとは言われないだろう。


しかしだんだんと出来ない自分やそれを良しとする自分に怒りが湧いて来た。苦しんでいるのに上級医が何も言わず、見るだけなのも腹が立った原因だったかもしれない。

ふざけるな、俺にも意地がある。
やってみせるぞと、右往左往してると何かの拍子にうまい具合に腸のたわみに抑えが効いたのかただ押し込んでたわみまくった腸を力づくで押し込んでたまたま入ったのか分からないが、とりあえず奥に行けた。

患者さんには申し訳ないが、力任せのプッシュ大腸カメラでほぼ最後まで辿り着いた。最後は少し上級医が手伝ってくれたが。

しかし終わったら疲れが出た。

昨日の夜は一応呼ばれない当直だが、病院で寝泊まりするからゆっくり寝られない。

おまけに帰りも2時間運転して帰るから疲れてしまった。

医局長に怒りが湧いてくる。

こんなん割りに合わんな。移動距離100キロを毎週とかね。
体力あるうちはいいけど、運転手欲しい。

完全にいいように使われてる。
この病院はコメディカルとか含めてみんな人はいいけど、仕事はそれなりに大変。


腹立ってきたから来週の健診、自分の発達障害セカンドオピニオンの日だから休ませて貰おう。
明日も胃カメラを1人5分でさばく。
胃カメラも好きというよりは外来よりはマシなだけなんだよな。

イライラ病は治らず。なんだかなあ。
眠いのでもう寝よう。