明日は当直

今日は病棟の看護師さんの送別会と納涼会を兼ねた会で、私と今回っている科の先生方(女子2人)と一緒におしゃれレストランに行った。

一緒の席に座った総合診療科の先生には、医者という仕事は患者さんの反応がダイレクトに伝わる職業ですごくやりがいのある職業だということを教えていただいた。

たしかに常に病棟にいて看護師さんの次に身近に接し、リアルな反応を得ることができるのは医者という職業の特権だろう。

だからこそ責任は重く、一言が患者さんを不安にさせて少しのミスが一生に関わってしまうこととなる。
やっぱり学生の時よりも死ぬ気で(こんな表現は正しくないかもしれないがあえて使う)努力し続けることが求められるし、そうせざるを得ない気持ちになる。実際上の先生よりもなによりも患者さんの反応から学ぶことが一番多く、それこそが真実で一番大事なことだろう。


時には19歳の影のある少年に自らの人生を投影させたりして、カルテに自分の人生哲学を(ほんの少しスパイス程度に)盛り込む。生活等から文脈を読み、彼の現在の課題は病気なんかじゃない。
目標を持って生きること、2次元の世界だけでなく体を動かし五感を使って人生を懸命に生きること。
それはなんでもいい。野球だろうと、仕事だろうと。


あの少年も本を捨て、街に出て(寺山修司ではないが・・)恋をすればきっと人生変わるはずだ。
母親からの強力な支配にも脱し、いろんな味わいを感じていくのだろう。
想像できる未来こそが可能性豊かな若者を見る楽しさな気がする。



そしてあるときには生活保護で家族とも疎遠な患者さんの孤独に同調し、しだいに前向きになっていくさまを見守る。
もはや医者ではなくカウンセラーのようなものだ。去年の俺と比べたら逆カウンセラーだ。
でも部屋に入った時のほんの少しの表情の機微・目元口元が緩んだ瞬間が伝わるので、嬉しい。


きっと難病を抱えた彼女の苦しみや孤独は知ることはできない、でも話してくれるのがありがたい。
今研修医という比較的時間が有り、感受性がやや錆び付きつつあるが思春期の気持ちもわかる時だからこそ感じれるものがあるはずだ。

私のしたかったことは医者になるというより、患者さんの人生を知りたい。
人間ドラマを見たい。それは泥臭くたって、楽しくなかったっていい。
そこで伺いみる味わいを肴に60代・70代になってゆっくりと人生を振り返ることが目標なのだ。

ところで飲み会のあとは先生方テンションが高くなりカラオケボックスでの2次会が開催されました。
私も連れて行かれ、あれなくこの時間(深夜1時帰宅)となりました。

明日当直、週明けの救急カンファレンスのスライドも作らないといけないが仕方ない。
元気じんじんジュース(ローカル?)でも飲んでなんとか乗り切ろう。
苦手な救急車も、血ガスも少しは出来たらいいな。
急性腹症を今勉強中なので、来いという気持ちです(笑)