機能不全家庭疑惑、いや卑屈思考か。

実家に帰るとけっこうきつい。それは弟や父がいるからだ。

彼らは高学歴でいわゆる気のいい人なのだ、世間から見れば。医者に東大生、それは一般的にはすばらしい。しかし心の奥を開くのは難しいのだ。たとえ家族であっても、家族であるからこそ近くて遠い関係なのだ。


彼らは自分が抱えている悩みを決して人に話そうとしない。それをすると自分が弱くなっているようでいやなのか、どうなのかは果たしてわからない。
しかし彼らは社会的に優秀な部類にいることは確かで、そこに劣等感は禁じえない。弱音言ったらお前勉強で悩むなんて、とか思っていそうで勝手な劣等感がある。
 彼らは社会に対して、そして自分になにやら自信がある、私にはない堂々としたものがある気がする。


ずっと競争なのか。なんか弟に弱さを見せるのもきびしいからね。そんな姿見たくないだろうし、そんな女々しい気持ち分かんないだろう。母親も然り、だろうか。悩みを言っても寄り添って聞いてくれる気がしない。

それはまあ落ち込んでないときはいいけど、そうでないときはきつい。
表面であたりさわりない会話に終始するだけなんてけっこう難しいのだ。
だって俺はそんなつよくない、ダメな野郎なのだ。


しかしそれを弟や父はやってのける。心の中にあるものを話さないでもやっていける器用な方々なのだ。
俺はきっとそんな器用じゃないから、心にないものをうまく言葉を出すことが出来ない。考えてものを言うからあいまいで医学用語をいい間違えるし・・


話す内容に主観性を排除して世間話に終始するのは自分にとって難しい技なのだ。

獅子を谷底に落とすというか、弱音を見せるのを拒絶した感じはけっこうきつい。


今日の夕食での会話はほぼゼロで、なんかうまく会話もできないから飯を食べたらすぐ部屋で2chまとめサイトを見ていた。蕎麦をすすって、父親がどこに行ったのかは誰も聞かないまま。弟に今日店は空いてたかとかちょっと話は振ったがあまり話したくなさそうだった。


何したかとかきけばよかったんかな。雑な反応されるのが怖くて踏み込めないチキンな兄は、食卓に流れる不穏な沈黙に耐える訓練を6年あまり通してきたけれども。結局解決されないまま24歳となった。コミュ力なんて結局皆無である。


家族なんてそんなもん、そう思って心を閉じた高校時代。あれから数年経っても結局あまり変わらない。歪んだ共通認識として相手に興味がないというか、興味を持ったらおかしいとでも思っているのかな、お互いに。


そして弟は弟で兄貴にはいえない数々のことがあるし、私もそれに触れることが出来ないし私もそんな感じなのにすべて話すことなんてできない。
母親は母親でぶちまけてもキャパに限界はある。あまり自分に余裕のない人で母親もまたいろいろと悩みを抱えている。


大人になるのは難しい。たしかに29、30日と家族旅行で鹿児島に行ったのは新鮮だった。でもそろそろ生活に他人を期待しすぎるのはもうやめないと。たとえ家族がいてなんでもやってくれていても、人生の舵取りをするのはあくまで自分自身なのだから。


けっきょくだらだら書いているが、このもやもやは、よりよいコミュニケーションを期待して上手くいかなかった、今後もおそらく上手くいきそうにないということなのか。
さして取り上げるに足らない内容ではあるが、親子関係は私の人間関係に起因する内容なのであえて掘り下げたいのだ。


旅行で私は親父とあまり目を合わせなかった。
なぜなのか、それは自分に自信がないこと以外にも親父の私の顔色を伺うような視線が嫌いという感情にも気付いた。皆が笑っているときに俺を覗き込む目。これには親父の気の弱さが見え隠れし、それが私のそれと重なって余計気になるのだろう。


旅行中やっぱり親父に気を遣って運転を私がするとは言わなかったし、あまりなにも発言はしなかった。弟は車の中で寝ない、行き先も不満があったような親父に希望を聞く、おつかれさまと言うなど親父にうまく気を遣っていたが今の俺には難しい。


親父も昔のような無条件に優しい感じではなくてけっこう気難しい一面が見え出したのは事実である。たぶん本音を言うと私にダメ出ししたいだろう、やっぱプライド高いだろうし。

夏休みの旅行ではけっこう辛かった。気を遣う発言が出来ない私はもめたりすることがあったからだ・・

実家でも気を遣うべきなのだろうか。親父を言葉でも行動でも尊敬していますと立てるべきなのだろうか。きっとそうして欲しいんだろう、自分もそうしてきたのかは知らないが・・

俺にはそれができない。

そもそも尊敬してるって何だろう。たしかに医師になるのは大変だし、乗り越えてきたのはすごいと思う。でも尊敬するとなると無条件ですごいと思うのはどうなのか・・


部活の先輩でも上手く立てることができないからな。
どうやって目上の人と接したらいいのか。これわからんと社会で潰されるな・・
損な性格ですよ、つくづく兄ってものは・・


けっきょくなにも変わりはしないのだ、という諦めとやがてやってくる明日はまた同じなのかという失望を通り越した諦念はもはや何も感じなくなってきている。


だっていま私は家族になにも伝えようとも思わない、だから何も言うことはない。
だから年末の番組がめまぐるしく流れるリビングを後にし、なにも感じないまま階段を上がり自分の部屋に向かう。


いわば心のひきこもり、そんな私もあさってにはまた戦いの始まる?学校生活に身を移すのです。
人生100%癒されたり、悩みがなくなることなんてないよね、そんな幻想を求めても無駄だと諦めてきた24歳。だからついうっかり人の真心に触れたりしたら、めっきり涙腺が弱くなったけど。


弟も父も母も本心をうまく隠すから、本音ぶちまけることができないのが実家でつらいとこだ。めんどうくさい気の張りが必要なのだ。かえって友達同士のほうが気を遣わない。
頭のいい人って難しいよね。


 ウジウジ考えるのは得意なのだ、空転する人生は実体を恐れているのか・・
 ぶつかることを恐れてというかそのせいで言いたいこと溜め込んで今に至るわけですが不健康だよね。新年早々どうしようもないけど・・(12月31日深夜の日記)