Hello,again 〜昔から切ない時期〜(取り越し愚弄)

今日で夏休み終了。あしたは昼から登校の予定です、はい。

なんか秋の寂しさが心を締め付ける。冷たい空気が気持ちに隙間風を送ってくる10月の日々よ。ラテンな夏の陽気な日々はもう消え去り、ねずみ色の空とともによどんだ気持ちも胸に浸潤してきそうだ。


実家で遊び三昧好きにやっていたのと比べて、再びこの大学の地で勉強するのは一種の修行のような感覚にとらわれる。長い修練の日々よ・・
中学・高校時代もほんとに学校がいやで、人生の苦しい通過点としか考えていなかった。

今思うと中高は学年の人数が180人くらいでわりと少なかったせいか、先生は生徒一人一人の顔を覚えていてくれて親身になってくださったと思う。
野球部の監督も、部長も、担任も自分を認めてくれているという安心感が根底にはあった。

いまも授業の内容より、先生のふとした雑談のほうが心に残っていたりする。
ある先生が「生きているだけで親孝行なんですよ」と受験が迫っている中牧歌的な発言をしていたことなど思い出せばいろいろある。


最近実家に帰って家族とおばあちゃんとご飯に行ったが、そこで身内でさえ私にある種の敵意の気持ちをを抱いていることを感じた。家族でさえ私をただ肯定する存在ではなく、牙をむいて自分を否定する敵意のまなざしを向ける。(自分ではエネルギー抑え目・・)それはしごくあたりまえのことかもしれないが、生ぬるい環境で育った私はちょっと悲しくなってしまった。


ましてや血縁関係もない、この大学でうまくやっていけるかは未だに非常に不安だ。心の壁をすぐにでも作れてしまうことを自覚する人見知りで臆病な私はめっちゃ怖い。自由度が高い大学はだれもそばにいないから孤立しやすいのだ。
友達でさえ気を遣いすぎる、悲しい佐賀。

尾崎豊のように大声で「存在」を叫びたい。
受け止めよう、めまいするような街の影の中。さあもういちど愛や真心で立ち向かっていかなければ。
受け止めよう、自分らしさに打ちのめされても。目に映るものすべてを愛したい。(歌詞引用)

実家で羽を伸ばせたのは決められた時間でしか自由がなかったから。
終わりの見えない喜びは存在しない。
三島由紀夫の著書に若い青春の日々の快楽の時間の約束はもっとも大事で、その大事さは青春が終わって気付くとあった。ふーむ、がんばろう。


このような私小説を好む内向するワタシは世間と乖離し、ハイテンションなsex machingansや水着のAKB48you tubeとかで見ながらこころの寂しさを埋める23歳。やっぱAKBがいちばんいいな。まじみんなかわいいもん。妄想フル回転じゃぜ、うひゃらうひゃら。

そうか、はじまりはなんだってつらいのですかね。それが通いなれた学校の新学期でさえ。
少しの覚悟と勇気をもって10メートルの高台から飛び込んでいくのは何回やっても慣れないし、かえって予期不安を生むのさ。取り越し苦労さえなければはたしてヒトは200年くらい生きるんじゃねーか。

テンションフルチンマックスに表面上なりきれない23歳のこどもなワタシの自虐ネタは悲しいかなおばあちゃんと話が合わない。オトナになるってむずかしいんだね、松浦亜弥さん。

全力で仕事するために、今を全力で遊ぶ23歳になりたいにゃ。
うんにゃ、とりあえずがんばらんでいいからあしたからあらたな気持ちでがんばるぞい。
ほほほほほーほい。たけのこニョッキ、竹内リッキ、リッキー変だーソン。

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