どうせマイナーな道しか歩けやしないのさ。

今日は休日だったので、午前中はのんびりしながら掃除、洗濯。午後はツタヤで映画とマンガを借りて帰った。午後はなんだかあっという間に過ぎていった。車の窓から見える国道沿いの青空と潮止めの松林と隙間から見える海が夏を呼んでいた。

思わず海が見たくなって、遅い昼食をマックで買って近くのショッピングセンターの広い駐車場で食べた後に海に行った。海岸は人気がなく、白い砂浜は僕しかいなかった。

最初はちょっと見るだけにしようと思っていたが、近くまで行ってみたくなった。大声で歌を歌いながら散歩して、潮風はひんやりと5月の香りを運んでくれた。伸びた前髪がじゃまだなあ。

家に帰って、洗濯物を干したらもう夕方だった。散歩がてらに近くの神社に行くことに。
その神社は周りは田んぼで、小高い森のてっぺんに位置するふんいきのある神社だ。昔この地に初めて踏み入れた人が作った跡だとか歴史的に価値のあるらしい場所のようだ。夜とかすごい気が充満していてとても入れない。


今日はいつもと違って、正面から入らずにわきに回って森の中を通る道を歩いてみた。
森の中はちょっと怖い。ヘビとかいろんな生き物が襲ってこないか不安になる。でもその不安に立ち向かい、歩を進めるのだ。危険を冒さないと得られないものがこの世には多い。


本堂と、有名な神社の方向に向けて拝んで帰った。ここにくると前向きになれる気がする。
誰かが、何かが支えてくれないと日常につぶれてしまいそうなんだ。絶えず評価を気にして、忙しさに追われると祈っていないと心がもたない気がしてきた。

(これは晴れた日に、境内の上から撮った写真。周りは干潟みたいになっています。)


逃げることが好きなんだ、私は。留年したのも、その他いろんなことから逃げてここにいる。
生来能天気なので、日々まあいいやで生きているのだ。野球できればまあいいや。医者になれればまあいいや。
勉強=仕事能力で評価され、自らに無能の烙印を押され落ちていった高校時代の頃に比べると、今はまあいいやと思える。あの頃、必死で未来に立ち向かっていたはずの自分は実は勉強から逃げていたなんて知る由もなかった。


現実に押しつぶされそうになっても、今を楽しんでいけたら。部活でも地味な脇役にしかなれないけれど、俺はこれでいいんだと思える輝く場所があるからいいや。
漫画ソラニンを読んでるとそう思った。

私は何で生きているかだなんて、そんな疑問持たずに生きていくのがいちばん幸せだと分かっているのに。どうしてあんなものを読んでしまうと心惹かれるのだろう。
私の心の青くて黒いものをえぐってくる。これは他人には見せたくないのでそっと閉まっておくべきものだったはずだ。


私の中でずっとトライセラトップスが回っている。どこか明るくなれないマイナーコードで掻き毟られるロックンロールはソラニンの世界観に一致する。
遠いとこまで、自転車で風を感じて走っていきたい。今という風を感じたい。そう思った日曜の明るくなれない一日でした。