ノスタルジーを捨てよ、殻を破れ。

今日も午後から解剖でした。しかし、昨日勉強不足で、剥皮してから脂肪などの結合組織に覆われた部分をピンセットで鎖骨上神経や皮神経、胸腹壁静脈や浅腹壁静脈や浅腸骨回旋静脈(ちょっと専門的ですいません)などを同定するのに苦労した。

同じ班の女の子はプリントにカラーペンで書き込んだり、アトラスのコピーに手書きを加えたりして予習していたようで、やっぱり航海する目的地が分かっているのとないのとでは違うなと感じた。何より僕のような気の小さく、要領の悪い人間は準備するのとしてないのでは実習での気の持ちようも変わってくる。何事もそうだろうが、準備は何にもまして大事なのだ。見習ってがんばろう。


同じ班の、同じ部活の奴もこれは何だよとかちゃんと自信を持って言っていた。他の皆も神経節の場所やデルマトームの位置など去年習ったことを覚えていた。私はそれらをすっかり忘れていて、周りよりちょっと遅れていると感じた。医学部で生き残るためのの徹底原則、周りに合わせるという観点からするとちょっと危険かもしれない。明日あさって部活はあるが勉強しないと・・


たしかに親にも言われたが、この解剖という時は人生で一回しかないし、普通は埋葬されるはずが自分とは縁もゆかりもない医師を育てるために提供してくださったご遺体、遺族の方々の気持ちを考えると勉強するのは義務の気がする。実際患者さんを目の前にして勉強不足なんて許されることではないし、社会とは自分が考えるよりとても厳しいものなのだから。モラトリアムだの何の言ってられない、ほんとに。

去年の後期の成績を見たが、ほとんどギリギリで合格している。私は範囲が狭く比較的絞りやすいテストは割りと出来がいいが範囲が広範でとっつきづらい分野の試験は出来が悪い傾向にある。情報の取捨選択が下手、というのもあるが生き残るには変わっていかないと。お手本はそこらにあるのだから。


医学生、ことに自分は小さい頃から勉強こそ善、それ以外はたいてい悪(スポーツや音楽は善であるとされた気がするが)と教えられてティーンエイジャーを過ごし、自我を形成してきたため世間、社会というものを知らない。
アルバイトも親からすれば勉強の敵だという見方すらされているから、世間知らずと言われ差し支えないと思っている。そして心の奥底で自分は精神的に未熟であると認識するがゆえに社会に出ないとという思いと、いや今を守るには勉強して現状維持に努めるべきであるというジレンマが常に発生するわけだ。


今までは臆病な性質から現状維持に努めた結果こうしてのうのうと生きているのだが、立ち戻って考えると私の生きる気迫は勉強しかない気もする。
4月からは、春休みという大学生にとってのデカダンス的モラトリアムを通過し、緩みきった精神にムチをいれ医学生としての背骨を入れていかないと。去年までのようにしていてはダメだ。
とりあえず自分の内の不幸に心痛める感傷は捨てて、行動せねば。書を捨て、家を出よう。来週もがんばろう!


いわずと知れた超名曲です。この曲こそクラシックと言うにふさわしい、心を打ち続ける永遠の愛のテーマだと思います。