蒼いうさぎ。

日記を書くのをやめてブログランキングが急降下してきた。まあ私のようなマイナー人間にとってはブログランキング医学生で10位になるとかあんまり落ち着かないものだ。おれってすごいかもとか考えたりして心は満たされるけど、なんのレスポンスもないしただの自己満って言っちゃ身も蓋もないかな。

「人は、人生を始めてから、徐々に芸術を始める。」と若きサムライのためにという著書の冒頭で三島由紀夫が書いているがきっと私の芸術は文章を書くことなのだろう。ふらふらとした翼でひとり旅に出るのを誰かが見守ってくれるのはこの日記という旅の勇気となるのだ。実家に帰って温かい父母のもてなしを受けるたびに帰ってきると涙が出そうになる。おれってひとりぼっちなんだ、ということをこのアパートに入り込む初春の寒さを背に無言のうちに噛み締める。


ついきのう部活のオフが明けて実家から帰った。今回は車で帰ったからか、いつものノスタルジーを感じる余裕もなく3時間半の峠を越えることに専念した。でも今日部活、明日は新歓、あさってはついに新学期が始まっていきなり解剖と急激な変化が待ち受ける。特に解剖は医学生の登竜門といえる儀式的なものだけれども、ほんとに気が重い。


医師であり、作家である南木佳士さんの本でも出ているように解剖とかふつうの人はできないことで、医者とは業の深い職業だと実感せざるをえないものだろう。カタギでいられないヤクザな職業ってとこなのか。
医学部に入って3年が過ぎたが、未だにこの世界に慣れることができない。部活が休みで実家に帰るたびに、部活も学校もやめたい気持ちが湧いてくる。

実家は政令指令都市になるくらいのそこそこの地方都市であるためか、若い人も多く実家に帰るたびに大学とのギャップに苦しむ。もっと若い人が、きれいな若い女性がいればなあ。そして自分とはかけ離れた多様な考えを持った若い人と一緒の空気が吸いたい。そんな思いが湧いては消える。あの街で、好奇心に満ちた瞳で街を狩人のように歩けば自然と顔つきもはつらつとしてくるのに。そして束の間ではあるが女性たちの視線も心地よく感じる瞬間さえあるというのに。(いささか自意識過剰気味であるが。)

心持ち猫背で自分を、そしてこの街すら卑下して明日を悲観し続けて生きるこの大学周辺の地方都市。過疎で人口が少なく、若く夢を持った人は都会に出ていく。見た目重視の形から入る、流されやすい私のような人間はこの町で生きていくのは正直つらい。同じ風景、みな一様に明日を諦めたような人の顔ばかり眺めるのは苦しい。何かでいいから明るく希望を持ってはつらつと生きている人と同じ空気が吸いたい。


この春休み旅行に行った。一緒に行ったのは医学部の人でなく、教養の時の友達とだ。私は未だに1年の楽しかった追憶のなかに生きているみたいだ。完全ではないかもしれないが、あたたかな円を描いた世界がそこにはあったような気がした。すこし知的ではないかもしれないが、明るく優しい友人が多くはないけれどそばにいて心地よかった。


体育会系の、時に口の悪くずけずけと傷つけることもある世界は私にはちょっと向いていないようだ。部活に行くのに気が滅入って仕方がない。皆多少はそうした気持ちはあるようだが、私のような人は所詮少数派でさみしいものだ。おまけに留年でクラスもいまだ距離がある。サラリーマン的家庭すら持たない私の居場所はどこだろう。そう考えたとき、ああ、溢れる感情に身を任せベッドに寝転び涙をぬぐう人生よ。

解剖でぼろぼろになった心と体をあたためてくれる我が家は、ひとり。死人の体を触った冷たい手と体は一人じゃ冷たいまんまじゃなかろうか。生きるとは難しいのだと、したり顔で呑めない酒を一人呑むしかないのだろうか。
実家に帰っても、義務感に囲まれてお見舞いやらお墓参りやら食事やらで自分の時間はなかなかないものだ。子どもの頃は優しかったおじいちゃんもいつしか厳しい社会を教える教師に、そして本来は損得勘定抜きで付き合えるはずのおばあちゃんでさえ、スポンサーである限り上司のようなものだ。決まりきったお土産を届け、儀礼的に小づかいをもらう。


ぎらぎらした野望を持ち、年長者を脅かす若者となるには自信が必要だ。今のままじゃ、何も手にしていない。
いつまでたっても、手に入らないように思える揺るがない幸せ。英語の先生も言っていたが、若いのは苦痛なのだ。エネルギーはあっても何も手に入りはしないのだから。経験不足というものにぶつかってばかりなのだ。

だいたいが医者の世界なんてサラリーマンのようなもんなのか。どうもまだ医者になる実感と覚悟がわかない。誰にも言えないが別の道はないかつい考えてしまう。跡取り息子の分際で、青臭い感情といえば何も言えないのだが。

考えず、動こう。働こう。健全な精神は健全な肉体に宿る。頭しか使わないのは自然の摂理に反しているだとか。
俺は祈る。明日を楽観的に生きれるように。束の間でいいんだ。束の間であればいきていけるから。