ときどきセンチメンタル大二病。

今日は部活だった。しかしなんか3月は天気が悪くてあまりグランドで練習できてないせいかノックでも体が動かないし、送球も全然やばかった。僕は内野のサードなのだが、どうやら取る直前に足が動かず、後ろに下がって取る癖があるみたいでそれも悪送球につながってるようだ。もっとフットワークで刺せるようにしたいんだが。

中・高と軟式だったので、準硬にまだ恐怖感があるのかないのか前に出れない。癖みたいになっているが、ゲッツーとか前に出ないと絶対できないしミスってもいいから次から前に出よう。そしてボール回しから集中してやろう。試合になってカチコチになってエラーしても後悔しか残らんから。

力を抜きたいんだなーー。そしたらもっと確率が上がる気がするんだけど。力を入れてプレーするのは2流、力を抜けるようになって初めて1流と聞いたことがあるが1流には積み重ねなのかな。1留は簡単にしたけど、ってやかましいわwww

鏡に映った守備を見て初めてプロとかうまい人との違いが少し分かった。まだまだうまくなれるってことだね。
今までは捕球体勢でひざが割れてたから多分内転筋がうまく使えてなかったようだ。ソフトバンク川崎とかしっかり下半身の膝が内に入っている。下半身からの伝達をうまくできれば、もっとスムーズにできる気が。今シーズン、これまで色んな苦労をされた先輩方、今まで苦楽を共にしてきた同級生の引退のかかった試合で悔いは残したくないので本でも読みあさって勉強しようかな。


今年度(4月から)は、夏に今まで中心選手として長い間活躍されておられた新6年生が5人引退される。
みなセンターラインや4番、クリーンナップを打つ方なので集大成としての結果が欲しいところだ。
しかも同期で入部したコメディカルのプレーヤー、マネージャーも引退する。下級生のとき一緒に遅くまで芸の練習とかやってグチとかこぼしていたのがなつかしい。これまでの2年間、正直彼らがいないときついときが何度もあった。でも優しい同級生、本気で心配してくださってアドバイスをくださった先輩方がいてくれたおかげで今なんとか進級してここにいると本気で思う。俺とか野球してないとぜったい医学部とか入れん人間だし、ほんと野球ともども感謝です。


今日は練習後、幹部で飲みに行ったのだが、なんか受験時代の思い出とかを語り合った。あの頃はたしかに純粋に俺のはっきりとはしないぐらついた将来に危機感を感じ、全身全霊をかけて勉強していたなー。動機とかなんだかんだきれいごとを言っていても、ほんとの理由なんか深みにはまってしまうだけだし、盲目的にやるしかなかった。現役、1浪とずっと地を這うような成績で大学での、将来の希望の光は野球だけだったな。いまでもばりばりの野球少年、精神年齢は大変低いねorz・・


でもそんなもんかもしれん。果てしない自己満足の世界といってしまえばそれまでだけれども、多くの人と一緒になにか生きているって実感できる瞬間があれば幸せだ。一所懸命やっても何が起こるかわかんないし、勝負事に絶対はない。だからこそ野村監督、イチローが言うようにプロセスが大事なんだろうな。でも工夫して、こつこつ努力したものが最後は勝つようになっているこの野球というスポーツは長嶋さんのいうように人生そのものではなかろうか。人それぞれの持ち場があり、チームとして一つに燃え尽きる快感を味わい、喜びも悲しみも何倍にもなって分かち合うって楽しいんだ。

その快感がわかったのは中学最後の大会だっけな。私はずっと控えで、たまたま最後の大会の試合前にレギュラーの子が熱を出して休んだからスタメンになってそこから試合に出れるようになった。最初は試合に出るのが怖かったが、本気でやれば結果もついてくるし、勝ち進んで自信もついてきて楽しくなった。

最後の試合、休んでいたレギュラーの子が戻ってきて、私はまた控えになった。でも全力で応援し、ベンチから勝利を疑わず声を精一杯出した。試合はけっきょく最初勝っていたが逆転で負けてしまったのだが、私は初めてなにか自信のようなものをつかんだ。なにか仲間と一団になって真っ赤に燃え尽きる喜びというか、スポーツって、野球ってまじで楽しいなと思った。

そこから高校時代はけっこう怖い監督で人一倍気の弱い僕はいろいろ怒られたりしたが、最後はレギュラーになってクリーンアップに打てるまでになった。中高一貫で、中学まではベンチにも入れなかったこともあったが野球が大好きだった。好きがあって続けたから、今がある。
いまでも当時の監督は怖くて学校に行ってもあまりしゃべれないしなるべく避けてしまうが、今思うとすごくその厳しさに優しさがあったように思う。社会に出たりしたらきっともっと理不尽なことがあるだろうし、監督の思いがうすうす分かってきた。
月並みな言い方だが、きっと監督はそんな温室育ちの私たちにあえて厳しいムチをもって接してくれていたのだと思う。

ほんと留年なんかしてすいませんでした。私は野球部OBとして、誇りを持ってこれからの人生しっかりとあきらめずに力強く歩いていかないといけないですよね。ほんとにバカですよ・・

もうあの頃のように叱ってくれる人もいない。叱ってくれる人がいないってのも寂しいものだなあ。
大人になるって寂しいモノなんだって改めて思う。なにかつらいことがあっても一人、孤独のランナーだもん。
落ち込んでも笑顔で話しかけてくれる父親もいないし、常に自分を、息子を第一に思ってくれる母親も遠く離れている。
高校時代、この家にいてはダメだと思って浪人のときはは家を出た。きっと俺のような心の弱い人間は一人で生きていくことで人としての芯がつくられていくのだ、と思うけれどときどきやっぱ寂しい。

スヌーピーの作家が言っていたように、もう後部座席から運転席には父親、助手席には母親、横には弟という完全に守られた空間はもう存在せず、僕もひとり運転席に座って責任を負う立場になったのだ。家庭を持つなんて先の話だけど、いずれそんな役割も果たす強さを身に着けるにはまだまだだねえ。男として家庭を守るなんていつになるんだ。


ところで今日飲んだ後、後輩の家で恋話みたいなことになった。って俺の周りみんないい話があるんだなーー、って初めて知ったしwww
いいっすね。青春だね。付き合うまでがマジで楽しいからね。付き合うまでの妄想大会とか麻薬だぜ、ほんと。

恋をするとバカになるからな。なんかとあるサイトで、男は困難な夢を追っているときは恋をするな、女の恋は男のそれと訳がちがう、って書いてあった。それはわかる気がする。
俺もハンターになると(笑)、そればっかりしか考えなくなるからなあ。なんか脳内麻薬が体中を駆け巡って、布団につっぷしてうあ”ーーーって叫びたくなるんですね。恥ずかしいことに。

僕にとって今の医学生としての勉強と、野球を本気で両立させるのは本気でむずかしい。特に幹部だし、ましてやバイトなんか本気で打ち込むなんて器用な真似は性格上できないと思う。だから、自分の雄としての狩猟本能に火をつけるとえらいことになる。女の尻を追っかけまわす滑稽な(そのときは本気なのだけれどねw)ことも大事な体験だけど、冷静に見て今はどうかなあ。。

いまを生きるという青春の大原則(?)から言うと、自分の感情を閉じ込めるのはいけない気もするけれどな。
私のセンチメンタルアンテナが感度マックスになって寂しさメーターが満タンになったそのとき、揺らめく影さす一縷の光をつかむということは私の心の大航海を乗り越えていくことを意味するのだから。勇ましい船乗りになるにはたくましい英雄でないと。少なくとも自分の彼女の前においては。
そんなことを考えると、仕事で1人前で自信をつかむ時かなあ。医者だったら何歳やねんって話だなww

でもそれほどのエネルギーを消費する人生の歓びを体験しない手はないと思い行動に移すのは大いに共感できる。今のところわたしはただ友人たちの恋路に陰ながら応援することしかできないが。ほんとうに幸せであれ。


ところでいっつも真面目か!!って突っ込みたくなる日記しか書けないですいません。
苦く甘い恋には、ヘビメタよりR&Bだよなとかいってne-yoとか聴いちゃってる痛い大二病な私は、しょせん形から入る永遠のハナタレンチルドレン。まあほろ酔い日記はここまでにしておきます・・