NHK、雑感

大学に入ってテレビを見ることがあるが、たいていのテレビは心に残らないものだ。

まず意識して見よう、と思うものが少ない。バラエティはこの地域ではテレ朝が映らないため面白い深夜の番組が見れない。

そのなかでアメトークは面白い。中学のときイケてなかったグループだった芸人とか、ガンダム芸人ベッキーすごいぞ芸人とか個々人の好きなことを楽しそうに語らせていくその内容は見てるこっちも楽しくなる。やっぱり人間好きなことをしている時が一番いい。

男の妄想力っていうのはたいしたもので、非現実を楽しむ術があるからこそ日常に彩がある。僕の大学での友達との会話もこれが多い。

しかしそれは限られた番組で、たいていは表面をなぞった無意識のうちに右から左に流れてしまうものがほとんどだ。

そのなかでNHKは心に残るものが多い。内面をえぐったような、人生の本質に迫った番組がある。民放はなんかエンターテイメントばかりで外交的なネアカ人間のためのもの、NHKは探求し本質を探っていく内向的な人間のもののような感じか。(後者を美化しすぎかも)

それに今の女優とか顔がたいてい一緒な感じだ。北川恵子は美人だけどいまいちピンとこないのはその画一化されたものから抜け出せていないためなのかもしれない。演技もそんなにうまくないし。


NHKで好きだった番組は「一期一会 キミにききたい!」だった。ある悩みを抱えた若者が全く別の環境で生きている若者にふれあうことでいろいろ体験して、感じていくノンフィクション番組である。

リアルな人があれこれ悩んだり考えている、これを知るだけでなんか癒されるものだ。そうやって真摯に、生きるとはというテーマに取り組んでいるNHKはすばらしい。受信料を払う価値があるってものである。

この前は、地方から東京に新卒で就職に出た看護師に密着したドキュメントを素顔に近い形で放送していた。それもなんか撮影している人も若い人で自然に話していて、生きている人間の息づかいが感じられるものだった。
あれこれとゆれる心情がにじみ出ていて面白かった。


正月こっちにもどってから、どうも引きこもり気味な心情がつのってきた。
クリスマスもずっと一人で過ごして、ようやく自分は一人なんだなと思ってきた。それから一人になる時間が多くても感覚が麻痺したというか、安心できるようになった。

人に期待しないように心がけるとなにか感情を閉じ込めた接し方になってしまいがちだ。土曜の部活、先輩に対してそんな行動をとっていたような気がする。


でも医学部の野球部の先輩はいい人が多い。
そんな自分にどうしたんだと積極的に明るく話しかけてくださる。
自分は人を気にする余裕もないのに、さらっと気を使ってくれる。

去年卒業されて今病院で働いているOBの先輩も練習にこられ、キャッチボールとかしておられたがなんかいつもと違う様子だったのか、
「どうした?」と話しかけてくださった。

世の中期待していないとこんな一言でうれしいものなのだ。部活のみんながいて、一緒に運動したりフットサルして、声をかけられる。
内向的で引きこもりな私はみんなといれるだけで楽しい。ここにいていいんだと思える。

そのあと留年組でカラオケに行ったが、彼らがいたおかげで僕のシャウトが久々に解禁できた。ストレス解消ができたのも彼らがいるおかげかな。
一人でカラオケしたことはないけど、ちょっとそういった体験をしてどれだけ自分が他人に期待していたか試してみたい気もする。


たぶん自分は他人に期待しすぎていたんだと思う。だから自己愛が強く、自分が自分がとどこかでなっていた気もする。
家族で過ごして、分かった。やっぱ自分は守られていて、与えられることが当たり前になっていた。何も言わないでも助けてくれる優しい両親。
きっとその期待に応えたいとずっと評価を気にかけていた自分。

だから人の評価ばかり気にして、自分の意思を閉じ込めて自分を卑下してすごしていた。市立図書館である本を見つけて感じた。

こんなブログに書き込むのもきっと誰かに認めてもらいたいって気持ちからだろうし、それは時に頑張る源になるから必ずしも悪いことではない。
でも他人の評価ばかり気にしていても、自分は生かされている、こんなことがしたいんじゃなかったのにとか逃げの感情が生まれてくる。

この3年間ずっと辛い時、医学部なんかやめたいとばっかり思っていた。
親が開業医で、母親からはっきりと自分が跡を継ぐ使命を持っていると言われてこれまでやってきた。
いまだにその使命とやらに違和感がある。自分のために選んだ道で、親・祖父や祖母の期待に応えるために選んだ道ではないと言いたくなる。

理系科目が全くの苦手で、本とか小説が好きで国語・英語の方が得意だった僕は中学3年くらいのとき、大学で心理学を学びたいと思った。
青臭いけれど本を読んだりして生きる意味や人生について考えたかったのだ。いや、考えることが好きだった。

しかし、当然親の無言の期待(?)や将来のどういった職業につきたいか考えたり、県下一の進学校にいることを考えると医者になってもそういったものはできるな、と考えた。精神科に行けばそのような問題に直面し、自分の好きなテーマに日々向かうことができると。

浪人時代、南木佳士の小説を読んでさらにその思いが強くなった。
たくさんの死にゆく人、病んでいる人と触れ合うことで日々人生という大きなテーマについて考えることができ、成長できる職業である医師はすばらしいなと。今思うとそれは後付けで、人に認めてもらいたいというずるさが先立ったものかもしれないけれど。


自分が自分らしく生きていくにはその期待もありのまま受け入れて生きていくのが必要なのかもしれないけれどそうなるには時間がかかりそうだ。
それまでは人生を、生きる意味を問い続けるしか道はなさそうだ。


ところで今、TBSの筆談ホステスというドラマを見ているがやっぱ北川恵子はかわいい。そんな子のいるお店に行きたいなとか思ったり。

お涙頂戴のドラマではあるが、ちょっと感動した。
困難の無い人生は無難な人生、困難がある人生は有難い人生という言葉や辛いのは幸せになる途中とかといった言葉は心に染みた。
人はやっぱりいつになっても生きる意味を問い続けるのかな。

自分の意思で生きていく。幸せのためにこうしたいからこうするんだって心で唱えていきたい。だって幸せになりたいんだ。