22年分の孤独を味わう

今日朝起きて、すぐにいつもの気だるい休日があっという間に終わってしまった。

昨日感じた孤独感がまだこの体を蝕んでいる。レポートをやろうとしたけど途中であきらめてしまった。この自信のなさが私の意欲を奪い、能力を失わせる。先週までとは明らかに違う。メンタルでこうも人間は違ってくるのか。


けっきょく昼過ぎまでだらだらレポートをして、ドライブスルーに行って大量のポテトで腹を満たす。
夕方まで昼寝したりネットの2ちゃんまとめサイトを見ながら過ごし、ふらっと夕飯を買いにスーパーへ。

健康的な食事がしたかったので、一人鍋の材料を買いに行った。野菜、豆食品で最近の食生活の借金を返そうとするむなしい行為と考えたらむなしい。

飯を作って食べる。その後ちょっとランニング、素振りをした。来週の駅伝で6キロ走る準備をしておくためだ。走るのは結構好きだ。苦しいけれど足を進める感覚はきっとドMな自分だから耐えられるのかも。


こんな孤独を抱え、人とも関わらず、自尊心の低下した状況ではとても勉強もはかどらないし、そんなことどうでもよくなってくる。明日のために努力するなんて高度な考えに至らない。生きている間、食べること、本能的欲求のみ働く。きっと脳幹しか使ってない。

留年したのもこういうものが原因だろう。思えば高校時代からこうだった。親のせいにするのも簡単だけれどそれもむなしい。

生きていることになんの価値もないようなムードが僕の周りに漂っている。そしてこれで明日も学校に行くのだろう。疑問を感じても何もしない。受身で淡々と暮らす、いつもの行動を選ぶ。そして同じ選択で同じ間違いを犯していく。

ほんまに消えたいな。明日実習あるけど予習なんも出来なかった。

誠実な人間は孤独なのか、果たしてみんな孤独なのか。孤独だったら死んでていいのか。誰からも必要とされなくて、誰からも嫌われていて果たして自信を持つことが出来るのか。
相対的な関係の中で自信を持とうとすると、常に不安定だ。母親が勢力争いだなんだかんだ固定観念を振りかざしている理論(感情論)もそういった揺らぎを表わしているんだろうか。

なにかこれといった自信がない。これはきっとこの孤独感が原因のひとつだろう。こんなならいっそ死んでしまいたい。今はどんな音楽もいまひとつ心を打たないし、本を読む気にもならないのだ。