偽悪的

今、内藤対亀田の世界戦が終わった。去年の今頃あしたのジョーにはまっていたからボクシングに興味はあったので楽しかった。

亀田はやっぱ偽悪的だ。試合後のインタビューですぐ分かる。彼はきっとボクシングに対しては真摯な姿勢を持って取り組んでいるのだろう。試合後の何の飾りもない感謝の気持ちの言葉が素直な心を表している。

ハングリー精神を保ち、自分を追い込んでいくボクサーにとって、退路を絶ち安住な立場から逃れるためにワルを演じて反発力を生む手法を選んできた亀田。長男である興毅は世界タイトルが取れるそのときまでぎりぎりまで堅実かつ慎重に対戦時期を選んだと思われる。

プライドや自尊心が空回りして、反則行為を犯した大毅と同じ轍は踏むまいと亀田家を背負う興毅はその言葉とは裏腹に冷静に分析していたのだろう。
自分のキャリア、体力、内藤の年齢などから勝てると確信があってこの試合を申し込んだのだろう。

老兵、内藤も世間ではいい人の象徴のような扱いではあるがつらい過去を持った遅咲きのファイターである。手数の多いインファイトを展開するハードパンチャーであることは激戦による顔の腫れが語っている。

試合は打ち合いに持ち込もうとする内藤と足を使ってカウンターを狙う亀田の互角の戦いだった。顔の前でガードを上げたグローブの間から眼光を光らせる亀田。内藤の前進をかわし、随所にカウンターを入れる。

防御ありきの攻撃といったところか。オープンボクシングでぶんぶんぶっ飛ばすエキサイトメントな試合というよりは、高まる感情のほとばしりに合わせた冷静で巧みなぶつかり合いとでもいおうか。

巨大なメディアの過熱報道を抜きにして今日の試合は亀田を応援してしまった。機が熟したといおうか、世界チャンピオンにふさわしい形で、なるべくしてなった瞬間を見た気がする。


ところでこの土日で完全に生活リズムが狂った。金曜に本棚を組み立て終わったのが深夜4時ごろで、そのリズムで貴さんの遊びの誘いも断りだらだらとすごした。

1年生のツケか、あまり遊びすぎるのが怖い。勉強モードにちょっとはなっていないと危険なのだ。かといって一人でいると厭世的な考え方に陥りやすく、引きこもり一人の世界モードに入ると医学部なんて糞だ的考えに至る。

そうすると勉強もしないし、社会的にまずいことになっていく。

まじでずっと一人でいると自分のほんとの世界が分からなくなっていく。
2次元にはまるとかこういうことなのかもしれない。2ちゃんねるまとめサイトに書いてあったラブプラスめっちゃおもしろそうだし。感情をおもいっきし揺さぶってくれそうだ。

現実の恋愛で、メール1通でベッドで身もだえするほど感情を揺さぶられやすい僕にとって3次元は刺激が強い。
まだ10代のようなガラスのハートを持っているため、心の感度が下がるまで現実の恋愛は厳しいかなと亀田興毅のような冷静な頭脳が言っている。

ここでぶっ飛んでしまうのはまだ早い。機が熟すまで石の上にも3年である。バイトしたり部活とかで対人関係に改善を図ったほうがよろしいかもしれない。傷つくことが怖いから感度を下げざるを得ない状況に自ら置いて鍛えられていくのかもしれない。

今週は実習始まることもあって不安だ。この土日2ちゃんまとめサイトを見続け、不規則な生活を送っていたためか体調がやや優れない。健康こそすべての根幹だ。

明日の昼までにもうちょい勉強し、病理のノートも仕上げないと。
自分のことでいっぱいいっぱい。自分にしか興味のない世界の狭いこん畜生は、傷つきやすい心を守りたいと安全な家に逃げ込んだ。

なぜ自分が生きているかは分からないから存在を確かめたいがためにスポーツで本気になったりして虚栄心を満たしている。
そういったものを削り取ってしまえば、安全に勉強にアイデンティティの模索が図られるわけで、はたしてそれが正しいのだろうか。

野球とは自分の何かを犠牲にするに値するものなのだろうか。ただの一選手に過ぎないのに本気でやりすぎてしまう。
確かに勉強も楽しいけれど、この机に向かう作業を続けていくのも僕の天分かな。それが正しい道になるかは誰もわからない。精一杯努力してだめだったらまた次の人生がある。あきらめなければ道はあるはずだ。

人生を模索していく。悩んでいくのは苦しいけれどそんなものに目を向けたくなる自分だからこそできることはないのではないか。
母親のほうに似ているから、単純な勉強の出来はともかく悲観的だったりとするけれどなんか才能があるかも。
不安な月曜日、幸せでなくてもいいから自分らしく生きていけ。