ハナキン。

今日は学校が4限だけというお得な日。今週一週間は補講期間だったため、楽だった。

しかし来週から実習だらけの後半。定期試験にはあんまり関係しないものも多いが、
予習・レポートと何かと面倒そうだ。今までとまったく異なる形式のため、なかなか
何事も最初に苦労する僕にとってはきついかもしれない。

まあ4限の外部講師の授業に行くのはちょっととめんどくさかった。
それも昨日買った本棚を作っている最中で、しかもパンを近くのパン屋で買ってカップラーメン
メンまで食して気分が優れなかったためだ。

なぜか食事習慣が悪くなるととたんに体は変調をきたすのだろう。
特にチョコレートを食べたらすぐ顔ににきびができるのはなぜなのか。
ちょっと検索してみたい。

まあ今日は授業終了後、野球部の幹部飲みがあるということでちょい気が重かった。
僕は基本独りでいることが楽なので、飲み会とかの前は決まってブルーだ。
とてつもなく根暗な性分で、人といないと寂しいし、かといって人に自由な時間を干渉される
るのもいやだ。

人に気を使いすぎるため、自分の本心が言えない。そうすると楽しく自由にしゃべれるのが
本来楽しいはずの飲み会が楽しくない。たしかになかなか普段しゃべれない人とコミュ二
ケーションを深めるのも目的であるが、今までほとんどの飲み会で本心から楽しいと思え
ることは少なかった。

基本先輩がいると気を使ってしまう。これは性分だけれども壁を作っていることになるのだろう
ろう。
確固とした自分を築けていないと、人との関係はうまくいかない。傷つき移ろいやすい自
分では本心をさらけ出す勇気を持ち合わせていないのだ。
もちろん飲み会の会話なんて本心をさらけ出す必要はめったにないのだから、経験をつめば
いくらかカバーできるに違いない。

若いということはそのパワーのあまり自分の中の嵐に難破してしまうこともある。
目の前の航海のことだけを考えて自分の船を修理したり、休憩しないと大変な失敗を起こし
かねない。

まあ余暇とはいいものだ。本来生きることは目の前の生活にしがみついて仕事や勉強に明け
暮れるのではなく人生を楽しみ意味を見出すことが目的なのだろう。
人生を楽しむとはいっても楽で怠惰な方向に向かうことは心が違うと訴えかけ、むなしくなってくる
っていく。本当に楽しむとは、自分の可能性を伸ばし、目の前の事に興味を持って生きる
肥やしにしていくことでないか。

パワーは使うほど出てくるものだし、出し惜しみしてはいけない。人生の目標を追うには
自分にできると信じぬくことが大切だ。

医学部を夢見ていた受験生のころ、偏差値が10あまり足らず、1個下の現役の弟にも同じ
模試で惨敗し現実に打ちのめされた。あのころは心理的にも病んでいて、予備校のカウン
セラーの方とお話していたがどうもうまくいかなかった。

そんなとき、母親がくれた一冊の本に目を通すとそれは受験生のスケジュール帳のような
ありふれたものだったが、中身は作者のポジティブメンタル法などもあって感銘を受けた。
当時から、というか受験生時代から大きな壁に当たるとすぐあきらめる癖があり、どこか
医学部にいけるか不安な気持ちを自分で自己否定してあきらめる思考パターンが身についていた
いた。

当時から死にたいとかずっと思い続けていて、自分の存在価値に疑問を持っていた。
だからこそ机にかじりついて、予備校もわざわざ寮に入って勉強したがいまいちうまくいかなかった
なかった。物理的な勉強時間を増やすだけではどうもうまくいかなかったのである。

そんな時、ポジティブ思考(口に出して俺はできると10回いうとか)は大いに役に立ったと思う
思う。何事もまず気持ちである。うまくいくと思ったらそのように努力するし、うまくいかない
ない、できないとおもったらそうなる。
自分を信じきることが大事。そんな単純なことに気づかされるのはもっと後だったが、そうするうちにいくぶんお
するといく分落ち着くことができた。

そんな感じでたまたまほぼまぐれで受かった医学部だが、ここまでくるとそういった過去も
昔のことで、ここにいることが当たり前のようで怖い。

それはそうと今日の飲み会はかって知ったる仲間で結構楽しかった。
キャプテンが同期の3年生一人、そしてそれ以外が一応後輩に当たる現同級生の2年生が4人。
だから一番上になる。春にはもう4回生である。早いものである。

この秋は再試験ばかりでまだ試合に行っていないという副キャプテンにあるまじき行動を
とっている。
もともと野球がしたくて医学部に入ったような不届き物のため、勉強は苦労して当然かも
知れないがそれにしても野球部の仲間にも迷惑をかけている。
僕はどうも試験がうまくできない。自分なりに人とあまり変わらないようにしようとして
いるのだがどうもうまくいかない。

やっぱり親父の血をついでいるから、まじめに勉強しないと無理なのか。周りの要領のいいやつ
やつらとは頭のつくりが違うのかもしれない。
その分自分の秀でた部分は必ずあると思うが。
野球も、こうした文章を書くこと、音楽を聴くことは自分が自分である大切な場だ。
勉強で判断されるのも致し方ないし、それは生きる・飯を食う種でありある程度割り切って
行かないといけないが、人生においてはひとつの側面だ。

もっと言えば、勉強ができなくても幸せな人生を送る人はいっぱいいる。自分の可能性を
生かせる仕事を見つけられた人は、ほんの一握りだろう。
自分がそうなれるかわからないし、可能性を生かせるのかも不明だ。

時々これでいいんだろうかと悩む日もある。とくにあまり前進してないときにかぎって。
受験生の目標に向かっていたころ、テスト前のほうが充実していた気もする。あの頃、あの時は
時はまさに走っている、生きている感覚が研ぎ澄まされるからだ。存在価値の確固たる証明の
を行っている。

けっきょくいかにして生きるかである。いまバイトせずにいるのも、バイトをしなくても存在価値を
在価値を求めうることができるからだ。勉強・部活で。
一人の時間で自分の生き方をこうやって見つめることができるのは有意義だけれど、学生の
頃はまだ余裕があるから楽しんでいきたい。いくら不条理でわずらわしい人間関係が多い医学部でさえ
学部でさえ。

付き合いとか縦の関係とかほぼ大人の世界、社会人のような振る舞いが求められる医学部は
時々弱者に厳しい。容赦なく攻められ、切り捨てられる。
留年したら後輩には腫れ物を扱うように接せられるし、先生には奥歯に物の詰まったようない
言い方をされる。いていないような暗黙の存在、アウトカースト。95パーセント有意内から外れる
る異常な存在ともいえる。

そんなものだから講義は背中を丸めて前のほうで聴いて、名前も分からない後輩からの嘲笑
にも耐える。それに前期も試験をわりかし派手に落としてプライドも傷ついている。
多少打たれ強くはなったけれど、いつ何が起こるかわかったものではない。ちょっとした心
のトラブルで底なし沼にはまっていくことは十分ありえる。

そういった不安も、成功することが目的でない・努力する過程こそがもっとも尊い青春の
意義だという本能的な気持ちに支えられている。

とりあえず飲み会ではみんないい人だった。みんな医学部はおもんないしむかつくことが多い
いし、野球部もやめたいと時に思っているようだ。
確かに気の合うやつ、自分に似た性格のやつは少ないし、気は使うし野球部にはほんとの友達はいないかもしれない。
やっぱ自分の考え方、スタンスは文化系である。小心者で人見知り、内向的と体育会的でない
い感じからか気が合わない。共通の話ができない。人種が違いすぎる。

自分も試験でいっぱいいっぱいのときは野球部が・・と思うこともある。
きっと野球部が無ければ勉強にもエネルギーが割けるだろう。人ができているからって自分に
にもできるとは限らないわけで、自分なりの折り合いを見つけないといけない。野球は好きだけど
だけど勉強ができないと医学生である以上価値がない。

そういった命題を探るには経験も余裕も無い。だから失敗もする。だけどいつかはつかみたい
いのだ。俺はできると思いたい。

その後、飲み会後2時過ぎまでbackyard babiesを聴きながら、本棚と周りの整理をした。
まだ本がはいらなそうなので、また違う本棚でも買おうかな。眠ーーい。

お酒はあまり好きじゃなかったけど、飲んで語らうことはいいもんだね・・