初期研修医は難しい。

社会人なので、個人情報等は差し控えてさせていただきます。
でも特定されない範囲でこんなバカもいるのだという気持ちで見ていただければ幸いです。
嫌な気持ちがしたらそっと閉じるか、もしよければこれはやばいよと忠告してください。


今のところ、最初の経験による興奮でコルチゾル分泌がよいせいか、学生時代よりもストレスはあまり感じていません。5月病は必至で、比較的ゆるい科なのに夕方にはふらふらしています。



今は知らなくて当たり前で、評価される段階に入っていないですが、そのうち慣れてきて周りが見えてくると他人の評価が気になって苦しむはずです。
指導医によっても苦しくなるだろうし。今の人は優しく教えてくれるので助かっています・・


カルテの書き方、プレゼン能力、人間関係含め器用にこなすバランス感覚など医者に求められることは多い。


医学部の学生時代は、勉強の成績という絶対的な価値判断で人格を決定される勢いだった。
国試落ちたら人生の落伍者みたいな扱いになる気がしてならなかった。



これからは、どうなるのだろう。


これからなんになりたいのか、どんなキャリアプランを形成して、そのためにどう努力すべきなのか。全くわからない。



1月の内科診療科の選択の時国家試験に受かる気が全くしていなかったし考えるキャバがゼロで今年は病院の先輩に聞いた、比較的時間に余裕のある緩い科しか選択しておらず(全く自信がなく、循環器とか回っても迷惑だ。いわんや国試落ちたら・・とかしか考えていなかった。)2年目以降、同期皆がメジャー科で学ぶはずの、当たり前に知っていることをしらない恐れが出てきた。



被害妄想の悲劇だ笑


能力のない人間がますます能力なくなっていくスパイラルなので、時間があるうちに循環・呼吸とか頑張らんと。俺みたいな偏差値主義で生きてきた受身の人間には環境って大事なんだけど。


自分にプレッシャーかけて、目の前を全力で向かっていき自分に対する言い訳を作ってとにかく一生懸命やるスタンスをよりどころ、心の防壁にする。


バカはバカなりに、負けず嫌いだけで生きてきましたから。
だから一人になる時間が欲しいんよ。コミュ障が肩肘張って無理してようやくここまで来れたから。


しかしこんなスタンスで、先生に怒られないように負けずに必死で先回りしてやってきたため大学で友達がだんだんといなくなってしまい、コミュ力がない。
勉強しないと落ち着かないし、趣味もない。
野球やっていた時の方がいい顔をしていた気がするが、国家試験受かるためだけにいろんなことを犠牲にしてきた。


コミュ力と受験勉強はトレードオフの関係か、はわからないが少なくとも俺にはそうだった。
負けず嫌いを出して、自分の自尊心を盾にして机に張り付いていたから。


とりあえず元気な挨拶が出来ていない(看護学生は出来ているのに・・恥ずかしいorz)。
これは精神科医斎藤茂太先生の著書でもあったが、りっぱなコミュ障の兆候だ。


医学部の制度上、指導してくる医者が大半は大学病院で出世を狙う成果主義でプライド高い先生ばかりなのが問題だ。あの人たちに指導されて、おもいやりだとかそんな心の余裕がつくかが難しい。
なにしろ上の人に気に入られようと必死なのに、プライドむきだしな学生など可愛い女の子でもない限り足蹴にされる。ポリクリは本当に苦痛だった。


班のメンバーも方向がバラバラで面倒だった。自然と口数は減って、いじられてストレスが溜まった。一生懸命やって何が悪いのか・・


そんなこんなでプライドで固めた自我がコミュ障を頑ななものにしていった。ゆえに5,6年は地獄だった。


成績悪かったり、プレゼン下手だったり、愛想が悪いと見向きもされないしまったく評価されない。


そんなことは看護師さんたちは知らないだろうし、卒業した今はどうでもいいことだけれども。
とにかく私は大学病院は嫌いだ。


まあ今は慣れない環境で、しかも社会人としての振る舞いが求められるから難しい。

ぜったい看護師さんはベテランで1年目研修医なんてなんもできないナースステーションのカルテに居座るゴミだと知っている。看護師は以前回転寿司で働いていたときのような体力仕事臭(失礼・・)がするし疲れていて怖い。


男と女が分かり合うことはなく、ひとつ屋根の下、妻が夫に不満を持ち続けるように医師と看護師は長い時間同じ場所にいてはいけない。
女の視野の狭さは異常で、きっと自分の仕事でカリカリしているから言う事聞かない医者は敵なんだろうな。男の看護師さんは果たして無能な研修医にも優しい。


ジェンダーといったら怒られるかもしれんが彼らは交通弱者にも配慮を欠かさない優良ドライバーなのだ。


ああ、何もできなくて本当にもうしわけないです。
でも給料もらって働いて戦力にならないといけないから、あきらめていられない。忍耐と継続こそがなんに限らず、成果を得るための一番必要な要素な気がする。


ピッチが鳴り、どうしたらいいですかに怯える。
責任に怯えるという学生時代とは違う緊張感をもちナースステーションで猫背になってカルテを見る。


挨拶が下手なコミュ障は、夜になり先輩が去り矢面に立たされそうな気配を感じるとそっと医局に帰ってカルテを書く。障壁に守られた自分の世界が必要なのだ。
今のところトイレが一番居心地がよい。


あと、口下手で思ったように話せないから患者さんの話を聞くのも難しい。
ポリクリでもそうだったが、人見知りなので最初患者さんの部屋に話に行くのがすごく勇気がいる。


しかも無駄話をしに来ているんじゃないから、ちゃんと調べて勉強しないと会話は成立しない。
金銭を払って、契約に基づいて関係が成り立っている以上情報を掴んで病気を治していく(根底には患者さんのためにという気持ちがあってのことで)姿勢を見せていかなければベッドサイドに行く資格はないのかもしれない。


患者さんの多くは重症(研修病院はえてして設備の整った、白黒はっきりさせる急性期病院だから)
なので不安でイライラしている。ご高齢とはいえ命がかかっているわけでたどたどしく、おざなりのご機嫌取りの会話は求めていない。はっきりとした説明と医師としてのふるまいを求めている。


研修医ですと弱みを見せることが患者さんにとっていいことか。
たぶんよくないことだ。


じゃあ研修医は命懸けで勉強するかといったら、うつ病になるのでギリギリのラインで頑張っていくしかない。

こんなブログで文章書けるうちは大丈夫だろう。問題はなにも言えなくなったときだ。


ゴミのような人間も給料もらっていて、臨床経験積まんとこの先患者さんの生死に関わってくるからとりあえず目の前のことを一生懸命こなしていこうと思う。


疲れてきたけどGWなので、でも油断すると知識がつかないので少しづつ課題を勉強していきたいです。明日も病棟行くかなどうしよう。
将来について考えつつ・・
(途中メチャ愚痴みたいになったので、自分のことを知っている人もいるのでブログを存続するか考えます。)