諦念

インターネット上では様々な憶測が飛び交っていますが、私はいわゆるボーダーライン人間みたいです。

4月から働くか・無所属人間かはわかりません。
一般臨床のボーダーは偏差値32らしいが、例年の動きを見ているとテコムサービス初回時の偏差値が30以上あれば受かる可能性はあるみたいだ。(採点サービスに必修落ちや出さない人もいるため?)
とにかくあさっては不安ですが、20台でも死にはしないと思って普通に生きていきたいと思っています。


昨日今日と借りてきた男はつらいよを観て、夜学に通うマドンナの回を見ながら目標がある・勉強ができるというのはいいものなのだなと思いました。


勉強をすればまだ見ないものを見ることができる、いつだって年齢関係なく自分の見聞が増えて新しい世界が開けていく。
勉強ができる限り、そういった未来への希望が光射す可能性はあるわけだ。
そして世の中満足できるほどそういったことができるそういった人はそれほど多くない。


ジニ係数や相対貧困度が拡大する今の日本では決して人ごとではないはず。

国試の帰りのバスで、となりの学士の人が大学はみな社会に出てから行きたくなるものだと言っていた。
上ばっかり見ると苦しいから、時に下を見ることも必要ではないかとも言っていた。


世の中には明日何していいかわからない人があまりにも多く、(春休みの私みたいだが)そうした人の気持ちはだんだんと荒んでいき毎日が過ぎていく。

医学部に入ってから試験は落としまくって勉強に自信がなくすぐ卑下する私にオヤジはよく言うが、私はどうやら社会全体から見たらトップクラス、上位10%くらいの位置にいるらしい。


一浪一留で模試では全国6845人中6786番だったかもしれないが(こんなことは晒すべきではないかもしれない)来年は確実に新しい環境で、目標に向かって(社会人では明確な目標はあるかわからないが、とにかく一生懸命仕事すること)生きていける。


医学部そして医師になっても優秀な人は多くこんな難しい試験をくぐり抜けて来た人が集まるから能力はもちろん向上心も、負けず嫌いも半端ないはずだ。
そして真に分かり合える友は少なくなると思う。

なにしろ学生でなく社会人でしかも優秀でプライドが高く弱さを見せる人は少なく、自分も頑張ってしまうから。
医療も競争原理が働くから高い質が保たれるわけで、そういった流れの一端が相対試験で評価される国家試験や学内試験に現れている。

それはそれで競争や人間関係は死ぬほど苦しいかもしれないが日々確実に向上の余地はある、希望の見える生活なわけだ。
いつかなにかつかめるかもしれない、今回の国試はほとんど手探りで解いてしまったが来年はしっかりと自信を持って選べるかもしれない。

偏差値30とかって思うかもしれないが、国試は団子状態なので数問ミスっただけで偏差値40台から転落する可能性は大いにあるわけです・・
難しい問題と簡単な問題がはっきりしていて思ったほど差がつかないし、マーク式だから運の要素はある。個人的には数問の世界で実力に差は全くないと思います。


馬鹿なので、人生自分の尺度で決めても文句はないのかね。


どんなに再試験になろうとも今まで一生懸命やった、それでいいじゃないかと思っていましたから。そして大体それで受かってきたので、なんだかんだ自分の尺度を信じきることは大事だと思っている。


自分なりの一生懸命はいずれ結果についてくるはずで、それを信じ切れれば自分の人生的には成功なのではないでしょうか。


やりきれるだけありがたいというわけで、自分への期待を裏切らないような日々を頑張るべき時にはし続けたいものですね。それは形でなく自分なりの基準でいいので。


真面目な感じで申し訳ないですが、クズ男なので解放された開放感から可愛い女の子と話がしたくて仕方がありません。

キモいのでyoutubeでアイドリング日記を観ています。13号長野せりなかわいいな。姉御肌の河村さん、訛りの酒井、クールな三宅ひとみもいいですね。

お掃除の回でときめいてしまった。お母さんみたいな女の子いいね。

廃人は欲求不満だけ無駄に強いようだ。