新年

アッという間に年が明け、ついに2014年になってしまった。

テレビも壊れ、初めて一人暮らしのアパートで迎える年明けはまったく実感に乏しく、晴れやかな気分にもならない。非日常という物に欠けると、脳は飽きてしまう。そう言う意味でテレビはいい脳を適度に刺激するいいツールののかもしれない・・

なんとか卒業は決まったものの、模試の成績が悪く先月中旬すぎにチューターの教授に呼ばれた。
一応病院に通っていることなど打ち明け、今の勉強の様子を話すと、一人じゃなくみんなで勉強しろとのこと。
そのほうが君の精神的にもいいし、一人になってしまっては今後の自分の選択肢を狭めてしまうとのこと。
じゃないと苦しい時に手を貸してくれる人がいなくなってしまうと。

感情の起伏が激しく、陰口もよく聞く怖い教授にそんなことを言われて反発する気持ちもあったが、一応自分なりの一生懸命やるという理念には反していないと思ったので最近は勉強部屋で勉強している。
しかし、ちゃんと勉強しないと落ちるよという言葉にはカチンときた。
平身低頭小言を聞くほど人間はできていないが、自分のことをずっと見ていない人に言われても腹が立つ思いはある。


そんなこともあり11月末と12月半ばに受けた模試の成績が今までよりましてかなり悪く自信はないが、なんとか卒業が決まり最近はやれるだけやろうと開き直っているところがある。
しかし、この時期にも変わらず努力するのは苦しいものだ。
ネガティブスイッチで自分を責める癖は、毒にもなるし薬にもなる。
1月の成人の日あたりの模試に向けて努力する毎日ではあるけれど。


年末前に3日ほど研修病院の懇親会のため帰省したが、家族もプライドが高い人が多くあまり本音で話せなかった。
東大の弟、医師の父にはどうあがいても勝てないから弱くなってしまう。
キレるのは反則だろう、不機嫌を他人に押し付ける行為で自分勝手極まりない。
苦しい時間を人に強要させることを自尊心から快感に感じてやがる。


まあ今後研修にあたって、社会人として働く上できっとわからないことや困ることが多いだろうから、これからは下手なプライドは捨てて人にうまく頼ったり聞けたりする能力をつけるのが当面の目標だ。
とくに自分はこのように落ち込みやすく、悲しいかな成績も芳しくないことからも苦しいながら人を助け、手を貸してもらわないと生きてはいけないことを体に染み込まされた。
苦しいけれど、アイデンティティの模索は続くのだ。20代だからまだできる・・

だから国家試験に受かるか受かるまいが、まずは自分を捨てて・消して他人のための行動ができれば良いとする。
6年生のこの時期においても、本来部活などで培っておくべきだったが自らの弱さから断念してしまった自分本位の考えを抜け出すためにも。


遅すぎたかもしれないし、もう一年かかってしまうかもしれないが。


なにもせずに夕方だ。とりあえずご飯をしっかり食べ、健康に過ごす。