受験時代

今日は久々に部活関連の用で学校に行った。はじめの30分くらい人と触れ合うことに若干違和感を覚えたが、昼飯まで一緒に食べて帰った。

まあ後輩が中心だったので何とかなったのかな。
こんな感じで先輩にうまく話せないのが気になるけれど。
髪の毛が伸びたって言われた。この髪型のほうが今の自分的には気に入ってるんだけど・・


ちょっと今日は受験生だったころのことを書いてみる。

私は幼稚園からなんか塾に行かされ、小学校もお受験をして国立の付属小学校に行っていた。そして中学受験をして地元のいわゆる県下一の中高一貫進学校に通った。小学校時代は県内の模試で9番になったり塾の成績もトップクラスで変にプライドだけが高いいやな奴だったと思う。

中学校ではさすがみんな優秀だったので中2まではそこそこだったが、そこからは落ちこぼれていく一方だった。
高1のときはクラスの担任の一存で、成績順に席が決められるシステムになったがコンスタントにワースト10にランクインし、2列目を出たことはなかった。(確か1列目に四天王こと不動の4人、2列目が6人くらい)

プライドだけは高かった僕はショックを受ける。そのあたりからナイーブな感情が先行し始めたように感じる。
進学校の男子校だったためか、価値観の基準は勉強の成績が第一である。そんな風潮からますます劣等感だけがつのっていく。
しかも1歳下の弟も同じ学校に通っており、弟は中学受験で日本有数の進学校N中学(神戸にある学校)に受かるほどの頭脳を持っていた。
当然のように彼は自分とほぼ同じくらいの勉強時間で学年トップクラスの成績を残していく。

年々開いていく差。将来の大学受験がちらつくころになると、その劣等感はナイフのように心をえぐっていった。
高校3年、勉強時間だけは1人前で成績はまったく頭打ち。学校で受けた河合塾模試の成績は、勉強時間に反して春から下降線をたどり、最後の10月くらいの模試で偏差値53くらいだった。
学年でも理系100人中89番。高1くらいから進路を医学部に絞った自分にとってそれはもう1年が必然のように思える数字だった。

僕はどっちかというと文系よりに興味・適正があると思う。考えることは論理的というより直感的で、あまり計画的でもない。
数学・理科が苦手で英語が得意だった。
英語は毎日文章に触れたり慣れることで確実に成績は上がるので野球のような反復練習でなんとかいけるが、理数系はセンスがいるし時間をかけても非効率でなかなかうまくいかない。

入り口でつまずいたら、もがいてももがいても泥沼にはまるだけだった。
プライドだけが空転し、わずかな望みをかけたセンター試験も77%と当時の医学部のボーダー90%には遠く及ばなかった。悔しかった。

自分は浪人を見越してダメもとで地元大学を受けたかったが、両親は少しでも可能性のある、同じ地方の田舎の国立大をすすめた。
そこはセンターのボーダーも地元大学よりは少し低く、なにより2次試験が英語と数学だけで苦手な理科がなかった。
自分としては若気の至りか、苦手な理科こそ克服すべしと中学時代からさっぱり分からなかった物理と物理よりはとっつきやすいが入試レベルはさっぱりな化学も頑張りたかったけれどそうはいかなかった。

2次試験、その地方大学の問題は基本中心だったこともあり、まずまず勝負できた気がした。しかしいかんせんセンター試験の出来が悪かったため失敗してしまった。


浪人するにあたって、心が弱く誘惑に流されやすい自分が1年で勝負するためには予備校の寮に入って勉強したいと思い、予備校探しをひたすらした。
紆余曲折あったのち、地元の河合塾の寮に入ることにした。

寮生活は、今振り返ると楽しかった。同じ境遇の仲間がいて、朝・晩とメシを共にして普段の厳しいプレッシャーを和らげることが出来たように思う。
自分のような奴にも友達が出来て、大体同じグループで朝、晩と食堂に行っていたため孤独になることもなく穏やかに毎日過ごしていたように思う。

成績はなかなかうまくいかなかったけれど、やるだけはやっていたように思う。しかし、中だるみというのはあるもので自分はペースが崩れがちな夏休み後の模試で急激に成績を落としてしまう。偏差値66→59ぐらいだろうか。

しかも1個下の弟は同じ模試で偏差値76、学年1位で全国優秀者に載っていた。これは相当こたえた。ずっと比較され、自分でも意識してきた奴にここまでコテンパンにされるのは悔しかった。

9月から遅ばせながらエンジン全開で勉強した。予備校のカウンセリングルームで自分の病んだ心を相談したりもした。
ある本に出会って、やっとプラス思考が大事だと思うようになり、実行した。不安な気持ちになっても前向きな言葉を言う、唱える。

何事も気持ちが一番大事である。不安ばかりで自信がないと理由をあげつらって不安を見つめて努力できなくなってしまう。そして心を病んでいく。
常に死にたい死にたいと思っていたものだ。(今でもその傾向はある。)
現役時代も医学部なら1浪は当然だという風潮に流されて、どこかで手を抜いていた気もする。マイナス思考に自ら落としいれ、勉強しているときも内向的な感情と常に戦っていた。

しかし、本当に成功したい、受かりたいと思うならまず俺は出来ると思って無根拠でいいから自信を持ち、困難に立ち向かう勇気が必要なのであると思う。不安ばかりだときっとどこかで無理がくる。

そのためには前向きな言葉を吐くことである。うまくいかないと思ってうまくいくことはない。うまきいきたいと強く願うならうまくいくよう努力し、うまくいくと自分に言い聞かせるのだ。

前年分かったように、医学部は難関大学を除いて2次試験であまり差がつかないため、センター試験は必ず落とせない。だからセンターの勉強を必死でやった。
基礎固めに、理数系中心にちょっと本番よりむずかしめの問題を解きこなした。センター系は自分で勉強する時間がほしかったから、予備校のチューターが講座を多くとるように勧めるが最低限にして、自分の勉強を第1優先にした。

思えばこのとき初めて能動的に問題集を吟味し、理解し、解き込むという勉強をして、理解していくうちにおもしろさがやっと分かり始めた。
おもしろくなってくると成長した兆しであったようで、ようやく12月ごろからマックス本気で勉強が進んだ。

浪人時のセンター本番はセンターが全年に比べて大幅に難化した年で、83%(これでも模試を含めてこれまでの最高点)だったが第一志望の地元大学のボーダー−20点、その他近くの県の国立大学はボーダー−20〜0といった状況だった。
2次試験の自信は正直微妙だったが、ちょっとでも都会に行きたい気持ちもあって比較的都会そうな近くの国立大を受けようかと思っていた。

しかし、チューターとの面談でこの成績じゃあ2次力から見て国立は無理め、私立医大なら可能性はあるからいろいろ受けてみろ、特に近くのK医大の受験を勧められた。

父親が開業医であり、母親の勧めもあり私立ももしものときは行く覚悟で受ける気でいた。しかし父親に俺にもプライドがある、私立もあまりに評判がよくないところには行くのはやめてくれと言われた。父親は私立医大出身であったためか、息子にはなるべく国立大にいってほしかったようだ。

まあなるだけで難しいのに、入るのにもヒエラルキーが存在してなるべくいいところに入っておけ、みたいな競争原理があるわけです。親はそのことを知っているから息子にはなるべく不利にならないような所に行って欲しいと。

母親はとくに教育熱心で、高2で半ば無理やり地元医大医学生を家庭教師につけたり、理科が苦手とみるや勝手に代ゼミのサテラインを申し込んで受けさせたり、ネットで個別指導の塾を勧めたり。
浪人時代もチューターにあれこれ言って、自分は結構特別介入を受けていた。何回も面談したり、テストを作ってもらったり。


結局その過剰な介入は直接は結果として出たのかは微妙だが、なんか自分にもわけが分からない執着心だけは芽生えた。踏まれても、とりあえずあきらめられなかった。そうするとやがていつかは受かるだろうという思いこみが生まれた。

国立大の2次試験はいやいやセンターでたまたま好条件の結果が出た前年受けた大学にした。そして私立は中堅私立医大のみを5個くらい受けた。

私立は問題が総じて難しい。理系教科に難のある私は、私立医大の配点は大体、英100・数100・物理or生物100・化学100なのでかなり不利であった。一方国公立なら英・数のみだったり理科も傾斜配点だったりする。
そのためか、実力不足で私立は全部1次試験で不合格だった。

しかしこのときからある種の開き直りが生まれた。ダメでもともと、やるだけやってみようとリラックスして国公立に臨むことが出来た。しかも前年受験したので傾向が分かっていて楽に対策も出来た。

2次試験も終わり、電車の中で50%50%だなと思っていた。
面接では緊張のあまり合図のベルが鳴る前に入ろうとして止められたりしたが、終わってしまえばどうでもよかった。

後期試験の対策も手につかず、前期試験の結果はレタックスで自宅に来た。
ダメだろうなと思ってみると、なんと自分の番号が。それからはいろんな所に電話をかけたりした。みんな意外だったようだ。

その日の夜には冷静になってて、食事に行っても受かったのはうれしいがこれからのことが早くも不安だったことを覚えている。受験とはスタートラインに立つためのものであって、過ぎればただの過程である。だから受かった瞬間よりも努力に費やしたこれまでの時間のほうが何倍も価値があって素晴らしいものだと思う。

不安は的中したのか、2年生のときに自信をなくしたり周りの勉強しないとみせかけて実は陰で頑張る賢さに気づかず追試地獄に陥った。
これも前期の順位がブービーで入ったツケなのか、受験時代神に大学で苦労しても受からせてくださいと祈ったためなのか。
思ったとおり医学部の試験は厳しく、自動的に進級できるとはとても言えない。まだ医者になれるなんて想像できない。正直言ってなれる確立は60%くらいな気がしている。

自信を持たないと難しい試験を突破する勇気がない。
実力があればいいが、私は完璧主義で時間がかかる上に計画性がなく、直前じゃないとエンジンがかからない。だから今までかなり追試にかかってきた。そして自信のなさからすぐ諦めちゃうところがある。
また、勉強より趣味とか好きなことについ興味が行くため、そっち一辺倒になりやすい。よって他人・特に先生に理解されにくい。
勉強ばっかしたくないという深層心理があるんだろうか。これまでの家庭環境に起因するのじゃないかと勝手に考えている。

能力はある気はする。時間がかかる代わりにいったん身についた記憶力は結構高いと思う。なにかに夢中になれることも出来る。ちょっとした自信がないと困難は突破できない。


受験生のひとでこの文章を読んでいる人がいるか分からないが、一ついえることは気持ちが一番大事だということ。合格したいなら、どう考え、どう行動すべきかは考えたら分かるはず。

やらされてするんじゃなくて、自分の意思で課題と情熱を持って勉強に励んで欲しい。時には本も読んで、モチベーションをあげるのもいいかもしれない。つらくなったら声に出して俺はいける、大丈夫だと言うことだ。
信じる意思こそ一番大事で、その意思に沿うよう行動するよう私たちは作られているのだ。

自分のようなけっこうだめっぽい人でも受かるから、信じてみて欲しい。自分は出来るんだと。そこから変わるはずだから。